婚約破棄されましたが、こちらから破棄します!〜第二王子と手を組んで復讐しますわ〜

毒入り紅茶事件から三日後。

 学園は、見えない緊張と噂で満ちていた。



「聞いた? クラリッサ様、お茶会で毒を盛られたらしいわよ」

「でも、倒れなかったって……本当なの?」

「なにか……対毒魔法でも仕込んでたのかしら……こわ……」



 ささやき声は、まるで風のように校内を駆け巡り、

 ときに尾ひれをつけながら、まるで真実のように定着していく。



 その日から、クラリッサには新たなあだ名がついた。



「毒を飲んで微笑む女」

「黒薔薇の令嬢」

「第二王子の魔女」



 彼女を恐れる者、崇める者、嫉妬する者。

 そして、何より怯える者が一人いた。



 レティシア・ロイド。

 恐ろしかった。



「な、なぜ……なにもしないの……? 私を……断罪すればいいのに……っ」



 夜ごと、鏡の前で呟き続ける彼女の顔は、青白くやつれ、頬はこけ、目は虚ろに泳いでいた。



 一方、その主役であるクラリッサはと言えば以前と変わらず、優雅な態度を貫いていた。



「紅茶の香りって、不思議ですわね。人の本性まで浮かび上がらせる」



 庭園のテーブル席で、今日も一人静かにティーカップを傾ける彼女。

 まるで“毒を盛られた令嬢”ではなく、ただの美術品のように凛として美しい。



 そこへ、レオニスが現れる。



「……毒の件、学園中が騒がしいな」



「騒いでもらわなければ、困りますもの」



「狙い通り……って顔だな」



「ええ。人は、目に見えない毒に最も怯えるものですわ。そして今、誰もが私が次に誰を毒殺するかを想像している」



「毒など盛っていないのにな」



「事実なんて関係ありませんわ。大切なのは、真実に見えるものを、どう演出するか」



 クラリッサはティーカップを置くと、笑った。



「でも、残念ですわね。あのレティシア嬢、予想よりも脆かったみたい」



「今朝、彼女の侍女が報告してきた。夜な夜な悪夢でうなされているらしい。クラリッサ様が鏡から出てくるとまで言っていたとか」



「まぁ。それは恐ろしい。私はそんな幽霊じみたこと、しませんのに」



「……それが、また怖いんだよ、君は」




 午後の魔法演習棟。

 クラリッサは単独課題のために訪れていたが、そこに予想外の来客があった。



「クラリッサ様」



 声をかけてきたのは、ミリア・ハートリィ。

 そう、あのヒロインである。



 平民出身の奇跡の少女。王太子が心を奪われたとされる、無垢な微笑みの代名詞。

 けれど今、彼女のその微笑みは、ほんのわずかに歪んで見えた。



「……ごきげんよう、ミリア嬢。王太子殿下のお側にいてもよろしいのに、こんな場末の魔法棟まで?」



「いえ。お話がしたくて、来たんです」



「まぁ。私と?」



 クラリッサは微笑みを浮かべたまま、ミリアを見つめ返す。

 ふたりの間には、微かな火花が散った。



「クラリッサ様……最近、学園の噂、気にされていませんか?毒だとか、黒薔薇だとか……その、少し怖がってる人もいて……」



「あら、それはご心配ありがとう。ですが、私は事実無根の噂に動揺するほど、心が弱くありませんの」



「でも、もしそれが本当だったら?」



「本当とは?」



「クラリッサ様が……本当に、なにかを企んでいたら」



 一瞬。

 クラリッサの笑みが、消えた。



「ふふ……あなた、面白いことをおっしゃいますのね」



 それは初めてだった。

 クラリッサの表情から仮面が、わずかに落ちた瞬間。



「もし私が、王太子殿下を貶めようと画策している悪役だったら、どうなさるの?」



 ミリアは目を伏せた。

 その目に、ほんのわずか涙が滲んでいるように見えた。



「……止めます。どんな手を使ってでも」



「……ふふふっ」



 クラリッサは吹き出した。



「まぁ、素敵ですこと。まさにヒロインの鏡ですわね。……でも、ご忠告申し上げておきますわ、ミリア嬢。私を敵と見るのは、賢い選択ではありません」



「……どうして?」



「私を敵に回すなら、せめて本当に強い味方をお持ちになることですわ。でなければ、ただ破滅するだけですのよ」

 

 夜。

 クラリッサの書庫にて、彼女はレオニスと並んで情報の整理をしていた。



「……ミリア嬢、やはりただの平民出ではありませんわね」



「目が違ったか?」



「いえ。あの涙。嘘でしたわ。ほんの一滴も感情がなかった」



「泣く訓練をしている、ってことか」



「それもありうる。私の読みが正しければ、あの子は……訓練された存在」



「どこの機関か、どこの意志か⋯…もう恋愛の話では済まないな」



 クラリッサは立ち上がり、棚の奥から一枚の地図を取り出す。

 そこには、王都の地下区画と、隠された施設群の位置が記されていた。



「明日。動きますわ。彼女の背後にある闇、その正体を探りに」



「危険だぞ」



「ええ。でも、もう手遅れになりたくありませんの。

 毒も、嘘も、仕組まれた恋も全て、私の手で暴いてみせますわ」

 静かに、夜が更けていく。