毒の香りは、バラの紅茶に紛れていた。
午後の貴族棟。
クラリッサは、相変わらず優雅に、けれど慎重に紅茶に口をつける。
「ふむ……香りはアレッタ・ローズ、けれど、少し鈍いかしら」
隣で椅子に座るのは、伯爵令嬢レティシア・ロイド。
王太子派に寝返った貴族のひとりで、ヒロイン・ミリアを露骨に擁護していた者だ。
そのレティシアが、今日は和解と称して、お茶会を開いた。
参加者はクラリッサただひとり。
「クラリッサ様、いかがですか?王太子殿下の件、私、ずっと気になっていて……」
「まあ。お気遣い痛み入りますわ」
クラリッサは柔らかく笑う。
扇子で口元を隠し、ゆったりとした所作でティーカップを戻す。
けれどその瞳は笑っていなかった。
(……この女、躊躇なくやったわね)
紅茶に混じっていたのは、王都では見かけない微量の魔毒の「ヴェヌム」
摂取してすぐには症状が出ず、数時間後に発作を起こすタイプ。
しかも、診断時には風邪や疲労と誤診されやすい、極めて厄介な毒。
そして、表で手に入れることはできない。
(つまりこの子……裏の流通に、コネがある)
クラリッサは微笑を崩さず、ティーカップをもう一度持ち上げた。
「本当に……優雅な香りですこと。どちらの茶葉ですの?」
「ふふっ、南方領の友人にお願いして。今朝届いたばかりですのよ」
「まあ。それは素敵……ところで、少し話が逸れますけれど」
クラリッサはティーカップをくるりと回しながら、柔らかく言った。
「昨夜、時計塔の書庫でおもしろい情報を耳にしたのです。裏市場で毒入り茶葉が出回っているとか。おそろしいですわね?」
レティシアの表情が一瞬、わずかに引きつる。
けれど、令嬢の仮面はそう簡単には崩れない。
「まぁ……まさか。そんなものが、貴族の館に入り込むはずありませんわ」
「そうですわね。そう信じたいところですわ」
クラリッサはゆっくりと立ち上がった。
「……このお茶会、とても楽しゅうございました」
そう言って彼女は、テーブルに残された自分のティーカップを。
そのまま、レティシアの前にすっと滑らせた。
「え……?」
「お礼に、その香り高いお茶。殿下派の皆様にも、ぜひ振る舞って差し上げてくださいな」
言葉と共に、クラリッサはにこりと微笑んだ。
それはまるで、あなたが口にしたくないなら、それが証拠ですわよとでも言うように。
「…………っ」
レティシアは顔を引きつらせたまま、何も言えなかった。
クラリッサは一礼し、優雅な足取りで去っていく。
その背中を見送るレティシアの額には、薄く冷や汗が滲んでいた。
その夜、ヴァンディール邸。書庫。
「毒、ですか。思い切りましたね」
クラリッサの報告を聞いたレオニスは、苦笑しながらワインを口にした。
「それだけ、こちらの動きが警戒されている証拠でしょう。私の排除を王太子陣営が真剣に考え始めたつまり、焦っている」
「だがレティシア嬢があそこまで直接的に仕掛けてくるとは」
「ふふ。あの子は優等生の仮面をかぶった脆い硝子。誰かに唆されたか、あるいは、ミリア嬢の……」
そこで言葉を切り、クラリッサは静かに立ち上がる。
「明日、ひとつ演出をしましょうか」
「演出?」
「ええ。毒入り紅茶を飲んだ令嬢が、どうして無事なのか。周囲の人々が疑問を抱けば、それだけで疑心と恐怖が芽を出しますわ」
「君は……恐ろしい女だな、クラリッサ」
「よく言われますわ、殿下。……だからこそ、王太子には私が邪魔だったのでしょう?」
月明かりの中、クラリッサの影が揺れる。
微笑むその姿は、悪役でもヒロインでもない。
ただ、強くて美しい本物の女だった。
午後の貴族棟。
クラリッサは、相変わらず優雅に、けれど慎重に紅茶に口をつける。
「ふむ……香りはアレッタ・ローズ、けれど、少し鈍いかしら」
隣で椅子に座るのは、伯爵令嬢レティシア・ロイド。
王太子派に寝返った貴族のひとりで、ヒロイン・ミリアを露骨に擁護していた者だ。
そのレティシアが、今日は和解と称して、お茶会を開いた。
参加者はクラリッサただひとり。
「クラリッサ様、いかがですか?王太子殿下の件、私、ずっと気になっていて……」
「まあ。お気遣い痛み入りますわ」
クラリッサは柔らかく笑う。
扇子で口元を隠し、ゆったりとした所作でティーカップを戻す。
けれどその瞳は笑っていなかった。
(……この女、躊躇なくやったわね)
紅茶に混じっていたのは、王都では見かけない微量の魔毒の「ヴェヌム」
摂取してすぐには症状が出ず、数時間後に発作を起こすタイプ。
しかも、診断時には風邪や疲労と誤診されやすい、極めて厄介な毒。
そして、表で手に入れることはできない。
(つまりこの子……裏の流通に、コネがある)
クラリッサは微笑を崩さず、ティーカップをもう一度持ち上げた。
「本当に……優雅な香りですこと。どちらの茶葉ですの?」
「ふふっ、南方領の友人にお願いして。今朝届いたばかりですのよ」
「まあ。それは素敵……ところで、少し話が逸れますけれど」
クラリッサはティーカップをくるりと回しながら、柔らかく言った。
「昨夜、時計塔の書庫でおもしろい情報を耳にしたのです。裏市場で毒入り茶葉が出回っているとか。おそろしいですわね?」
レティシアの表情が一瞬、わずかに引きつる。
けれど、令嬢の仮面はそう簡単には崩れない。
「まぁ……まさか。そんなものが、貴族の館に入り込むはずありませんわ」
「そうですわね。そう信じたいところですわ」
クラリッサはゆっくりと立ち上がった。
「……このお茶会、とても楽しゅうございました」
そう言って彼女は、テーブルに残された自分のティーカップを。
そのまま、レティシアの前にすっと滑らせた。
「え……?」
「お礼に、その香り高いお茶。殿下派の皆様にも、ぜひ振る舞って差し上げてくださいな」
言葉と共に、クラリッサはにこりと微笑んだ。
それはまるで、あなたが口にしたくないなら、それが証拠ですわよとでも言うように。
「…………っ」
レティシアは顔を引きつらせたまま、何も言えなかった。
クラリッサは一礼し、優雅な足取りで去っていく。
その背中を見送るレティシアの額には、薄く冷や汗が滲んでいた。
その夜、ヴァンディール邸。書庫。
「毒、ですか。思い切りましたね」
クラリッサの報告を聞いたレオニスは、苦笑しながらワインを口にした。
「それだけ、こちらの動きが警戒されている証拠でしょう。私の排除を王太子陣営が真剣に考え始めたつまり、焦っている」
「だがレティシア嬢があそこまで直接的に仕掛けてくるとは」
「ふふ。あの子は優等生の仮面をかぶった脆い硝子。誰かに唆されたか、あるいは、ミリア嬢の……」
そこで言葉を切り、クラリッサは静かに立ち上がる。
「明日、ひとつ演出をしましょうか」
「演出?」
「ええ。毒入り紅茶を飲んだ令嬢が、どうして無事なのか。周囲の人々が疑問を抱けば、それだけで疑心と恐怖が芽を出しますわ」
「君は……恐ろしい女だな、クラリッサ」
「よく言われますわ、殿下。……だからこそ、王太子には私が邪魔だったのでしょう?」
月明かりの中、クラリッサの影が揺れる。
微笑むその姿は、悪役でもヒロインでもない。
ただ、強くて美しい本物の女だった。



