元プロバンドマンの部下は、私に気づかない~まさかの再会オフィスラブ~

和那の胸の奥で、何かが大きく揺れた。言葉が出て来ない。


「南澤くん、どうした?」


一向に反応を示さない和那に、部長が不思議そうに声を掛けると、ハッと我に返った彼女は


「南澤和那です、よろしくお願いします。」


そう言って、頭を下げると。湊がこちらを見る。一瞬、目が合った。でも・・・。


「よろしくお願いします、南澤さん。」


それだけだった、何の反応もなかった。自分の顔を見ても、名前を聞いても・・・。

 
(気づかないんだ、本当に、全然・・・。)


和那の胸の奥が、小さく痛んだ。


「じゃあ、まずは簡単に業務の説明からするね。」


気を取り直して、和那は話し始めた。


「はい。」


素直な返事。そのやり取りが、妙に現実的で、ひどく、不釣り合いに感じた。


この距離で、この関係で・・・この人と、こんな会話をする日が来るなんて、想像したこともなかった。


説明を始める。手順を伝え、注意点を話し、必要な資料を渡す。彼は黙って聞いている。理解しているのか、していないのか、分かりにくい。時折うなずくが、それ以上の反応はない。正直、物足りなさを感じるが、全くの別世界から飛び込んで来ての初日。こんなものかもしれないと和那は思い直した。


「ここまでで、何か質問ある?」


「いえ、大丈夫です。」


「本当に?」


「はい。」


短い返事、その距離感に、理由のない苛立ちがわく。


(でもそれって仕方ないこと・・・。)


今の自分たちは、ただの上司と部下。それ以上でも、それ以下でもない


「とにかく、分からないことがあったら、そのままにしないで。」


「はい。」


「それと、確認は必ず自分でやること。誰かが気づいてくれる前提で動かない、いい?」


「はい。」


淡々としたやり取り、まるで温度のない会話。


「じゃ、席に戻って、この資料に目を通しておいてくれるかな?」


取り敢えず、この時間を終わらせるべく、和那はそう言うと湊の前にペーパ-を置いた。