季節は巡り、隣のあなたはいつでも美しい

 その日、須藤(すどう)藤也(とうや)は祖父と共に近所の海浜公園に来ていた。

 中学校が休みの日だけど遊びではなく、造園屋を営む祖父の手伝いのためだ。


「じいさん、苗って花壇に運べばいい?」

「いや、丘の上。花畑にするから。ロープで海側と駐車場側に仕切ってあるから、それぞれに同じ数運んでくれ」

「あいよ。海側から先に持っていくわ」

「頼んだ。ボランティアサークルの人たちが来たから、挨拶しといてくれ。実際に植えるのはその人たちだから」

「わかった」


 藤也は台車にナノハナの苗を積めるだけ積んで歩き出した。

 家のトラックが停めてあるのは駐車場側だから、反対の海側まではかなり距離があった。

 藤也が中学生になってから、祖父の小春(こはる)がなんだか小柄になったように見えて心配なので遠くまで運ぶことを申し出たけど、それはそれとして遠い。


「しかも寒い……」


 海沿いの公園はとにかく風が強い。

 ナノハナの苗もわさわさ揺れていて、台車から落ちないように気を遣う。

 ……藤也には、そちらの方がありがたかった。昨晩のことを思い出さないで済むから。



 藤也は中学生になってから、イライラして仕方がなかった。


(あー、これが反抗期かあ……)


 と、頭の中ではぼんやり思ったものの、とにかく家にいると親の一挙一動がイライラして仕方ない。

 両親共に家業の造園屋と花屋が忙しいし、二人とも穏やかな性格だからか、藤也が突っかかっても、二人ともさらっとかわしてしまうことが多くて、余計にイライラした。

 そんな中、昨晩、藤也は台所にいた母親の花音(かのん)に強く当たった。


「うるせえな、クソババア!」


 別に本気でそう思っていたわけじゃない。いつもどおり、「はいはい、クソババアで結構」と聞き流されると思っていたのに、次の瞬間に藤也は背中から床に叩きつけられていた。


「っ、あ……?」


 身体が痛くて声が出ない。

 遠くで母親が「藤乃(ふじの)さん!?」「ちょ、藤也、大丈夫!?」と叫んでいるのが聞こえる。

 そして藤也の目の前には無表情の父親、藤乃がいた。


「お前、俺の妻になんてこと言うんだ。この人はもうお前の母親じゃありません。俺の妻です。もう俺は花音ちゃんを母さんなんて呼びません」


 低く、沈んだ声だった。

 藤也は何も言えず、指一本動かせず、父親を見上げた。

 ドタバタと足音がして、母親が駆け寄ってくる。


「藤也……!」

「そんなバカは放っておけばいい」

「……はー、藤也はとにかく反省なさい。お腹空いたら台所にあるものを勝手に食べて。藤乃さんはこっち」


 母親は父親を連れて部屋から出ていった。

 藤也はノソノソと起き上がって、台所に行く。後は配膳するだけの夕飯が並んでいて、背中が痛くて、どうしていいか分からなかった。




「はー」


 ナノハナの苗を運び終えたころ、地域のボランティアサークルの人々が集まってきた。


「あら、今日は藤也くんが持ってきてくれたのね」

「お父さんに似た、いい男になっちゃって」

「うちの孫の婿にどうかしら」

「中学生だっけ? しっかりしてるわねえ」

「小春さんも藤乃さんも、鼻が高いでしょう」


 そんなタイミングの悪い褒め言葉に藤也は愛想笑いをして、祖父の元に戻った。


「じいさーん、苗、ボランティアサークルの人たちに引き継いできたよ」

「お、ありがとよ。こっちも終わったから、次に行こう」


 藤也はトラックの助手席に乗って、海浜公園の敷地内を移動した。


 今回はピクニックやバーベキューが行われる丘に苗を運んだけど、半月ほど前に祖父と父親とで遊歩道の周辺にナノハナを植えに来ていた。

 それがきちんと育っているか確認すると言うので、藤也も付いて行く。

 祖父は駐車場の隅にトラックを停めて歩き出した。昔より小さく見えるとはいえ、藤也より祖父の方が背は高いし肩幅も広い。

 藤也が少しホッとしながら歩いていると、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえた。

 海に向かう遊歩道で、子どもたちがはしゃいで走り回っていた。それを親らしい人たちが穏やかに見守っていて、遊歩道の両脇にはナノハナが黄色い花をほころばせながら風に揺られている。


「うん、ちゃんと育ってる」


 祖父が優しく言って、藤也の瞳がぼやけた。


「……育ってるかな」

「育ってるさ。お前の親父が手がけてるんだから」


 それがナノハナのことなのか自分ことなのか、藤也には分からなかった。


「このままたくさん日差しを浴びて、大きく元気に育ってくれたら、俺も藤乃も言うことねえんだ」

「……親父はさ、中学の時はどうだった?」

「藤乃は……」


 祖父は言い淀んだ。


「反抗期らしい反抗期はなかったな、あれは。物静かで、引っ込み思案で、口数の少ない子供だった。でも今の藤也みたいに俺の親父と剪定や造園の手伝いをしたり、お前のばあさんと花屋で働いたりして、そういうときだけは楽しそうにしてたな」

「そうなんだ」

「何しろ俺も反抗期ってそんなになかったからなあ。俺の兄貴の反抗期が激しくて、それで親が疲弊してるのを見てたから、そんな風に暴れる気にならなかったんだ」

「……俺、暴れてたかな」

「兄貴ほどじゃねえな。それに親に反抗したくなるのは健全な成長だから、悪いもんじゃねえよ。まあ、だからって家族を傷つけていいわけじゃねえけど」

「……うん」

「ま、帰ったら花音さんに謝るんだな。昨日の晩飯、美味かっただろ?」

「うん、そうする」


 藤也は自分でも驚くくらい素直にそう言った。



 ナノハナを一通り確認してから、藤也は祖父と共にトラックに戻った。

 帰宅すると双子の妹が出迎えてくれた。


「お昼ごはん、冷蔵庫に入ってるよ」

「今日はお父さんの牛丼!」

「美味しいよ」

「お兄ちゃんの好きな紅しょうがも一緒にあるから食べてね」

「トラックの片付けは私たちがやるから、おじいちゃんとお兄ちゃんはお昼食べておいでよ」


 騒がしい妹たちに片付けを任せて、藤也は祖父と家に向かった。

 冷蔵庫から出して温めた牛丼はいつもどおり美味しかったし、藤也が好きな紅しょうがが小皿に山ほど盛ってあって、父親がどんな顔でこれを用意したのか考えると、藤也はどうしていいかわからなかった。

 食べ終えた後、藤也は片付けをして花屋に顔を出した。

 祖母が接客中で、母親は倉庫から花を運び出していた。


「あ……、母さん」

「藤也、おかえり。お昼食べた?」

「……うん、あの、昨日、ごめん」


 そう言うと、母親は苦笑した。


「そういう時期だし、ある程度は仕方ないけど、でも私の旦那さん泣かさないで。あの人泣き虫だから」

「……はい。ごめんなさい。あの、親父は?」

「いいよ。お父さんは配達です。午後はどうする? 桔花(きっか)蓮乃(はすの)がおじいちゃんの手伝いしてるし、お店も私とおばあちゃんでやってるから藤也は好きにしてていいよ」


 藤也は少し迷ってから、家に戻ることにした。

 帰って、風呂の支度だけして宿題を終わらせる。

 その後、午後の配達を終えた父親が帰ってきて夕飯作りを始めたから、藤也は手伝いに向かった。


「あの、ごめんなさい」

「別に俺に謝らなくていいけどさ」


 エプロンを締めながら父親は微笑んだ。


「花音ちゃんはお前の母親だけど、別に最初からそうだったわけじゃない。彼女は由紀(ゆき)さんのお嬢さんで、俺の奥さんで、その上でお前の母親をやってるわけだから、あんまり失礼なことを言うんじゃないよ」

「……うん」

「実の母親だからって軽んじたり、暴言を吐いていい理由にはならないだろ」

「はい。ごめんなさい」

「次やったら家から叩き出す」

「しないよ、もう」

「ならいいよ。晩ごはんは花音ちゃんのリクエストで生姜焼きだから、藤也はキャベツ千切りにしておいて。俺は先に汁物用意してる」


 藤也は恥ずかしかった。

 反抗期を言い訳にして親に甘えていたことも、それを両親祖父母が承知の上でいたことも。



 翌日、藤也が学校から帰ると、従妹の花菜(かな)が遊びに来ていた。

 伯父の家が花農家で、花屋に納品に来た伯父に付いてきたのだ。


「なんか落ち込んでる?」

「んー、ちょっと」


 藤也は二歳歳下の花菜に、昨日一昨日の話をした。

 花菜は「ふうん」と肩をすくめて、手に持っていた花を差し出した。


「これあげるね」

「ナノハナ?」

「うん。パパが納品に持ってきたけど、これは規格外で売れないナノハナ。藤也にあげる」


 受け取ったナノハナは、たしかに売り物よりも少し小さめだ。


「ちょっと苦いかもだけど、おひたしにして食べてもいいし、水をあげて飾ってもいい。ナノハナの花言葉は『小さな幸せ』『快活な愛』、その他諸々」


 花菜がつらつら喋るのを藤也は黙って聞いた。


「ま、いいこともあれば、悪いこともあるよ。藤也にしょぼくれた顔は似合わない」

「もしかして、慰めてたのか?」

「まさか。藤也は勝手に幸せになればいいと思ってる。私の手助けなんか、藤也はいらないでしょ」

「……そっか」


 藤也は花菜の頭をぐりぐり撫でてから、ナノハナを持って家に向かった。小さいナノハナを、見つけた一輪挿しに指して部屋に持っていく。

 今が幸せかどうかはさておき、誰かがそれを願ってくれるのは、嬉しかった。


「俺はかっこ悪いなあ」


 藤也は苦笑して呟いた。親に反抗していなされて、祖父に慰められて、従妹に愚痴って背中押してもらって。


 でもそうやって立ち直ったから、もう大丈夫。

 そう思って、藤也は花屋の手伝いに向かった。