夜と最後の夏休み

 時計を見るともう夕方と言っても良い時間だ。だけど空はまだまだ明るい。昨日のお祭りはもっと遅い時間だったけど、それでもかなり明るかったし。

 あの後、田崎ほのかとニャンタカくん? は家に帰ったのかな。ニャンタカくんの本名は知らない。なんでニャンタカなのかも知らない。今度、夜か美海に聞いてみよう。


 詩音は恋愛に興味がない。そういう人のこと、アセクシャルとかノンセクシャルって言うみたい。定義もあるみたいだけどラベリングされたり区分けされるがなんか嫌でちゃんと調べてない。

 そもそも自分が女であるというのが嫌だ。月に一回血が流れ出て、お腹が痛くなる。それでプールを休むとひそひそ言われる。

 服だって選択肢がどんどん減っていく。下着は専用のものが必要で、ちゃんとしないと胸が痛くなる。

 自分のことを私って言わなきゃいけなくて、でもそれが嫌で詩音と言い続けている。そろそろ厳しくなってきた。


「わたし。私。私は矢崎詩音です」


 英語の教科書みたいなことを言ってみる。英語はいいな。自分のことは全部『I』だ。自分と相手。自分と誰か。


 諦めようか、もうちょっとあらがおうか。


 自分はまるでクラゲみたいだといつも思う。寄る辺などなく、誰にも依らずゆらゆら生きている。

 でも夜と美海と一緒にいるときは違うんだ。愛想笑いなんかしないし、黙って静かにいないフリなんかしなくていい。目一杯笑って怒って、好きなこと言って。夜も美海も詩音のこと嫌いになったり、嫌そうな顔しなくて。



 ほんとは昨日の夜、言い過ぎたなって思った。田崎ほのかにだ。あの子の言うとおり、詩音は部外者のよそ者なのに。無関係にも程があるのに。なんだかイラついちゃって言ってしまったのだ。

 だって田崎ほのかの後ろでニャンタカくん寂しそうにしてたじゃん。声をかけられて夜は嫌そうにしてたじゃん。だからなんだって話なんだけど。なんかもー、ムカついちゃって言い過ぎてしまった。

 美海が笑ってくれて、すごくほっとしたんだ。

 よかった。美海は詩音に怒ってない。詩音がわめいてるの見て、それを怒らないで、うまいこと止めさせてくれた。


「そうだ。詩音は美海に謝って、そんでお礼も言わなきゃ」


 あそこで止めてくれなきゃ、詩音はきっと田崎ほのかに取り返しのつかないくらいヒドイこと言ってしまってた。

 田崎ほのかにも謝らなきゃ。ヒドイこと言ってごめんって。たぶんただの八つ当たりだった。詩音にはよくわからない恋愛ごとで盛り上がってて意味わかんなくてイライラした。

 改めて考えるとヒドイ話だ。ごめん。本当にごめん。誰ともなく謝る。明日、ちゃんと美海と田崎ほのかに謝ろう。これは練習だ。


「ごめんなさい」


 家で親に言ったような、空っぽで棒読みのごめんなさいではなく。ちゃんと言おう。