夢幻に消えた君と、存在しない約束の続きを。



車椅子に揺られ、僕はナースステーションから遠く離れた、廊下の突き当たりにある個室へと運ばれた。


「ここが、今日から君の部屋だ」


開かれたドアの先には、徹底的に色が排除された空間が広がっていた。


白い壁、白いベッド、白いカーテン。
窓の外に広がる雨空の灰色さえも、この部屋の中では色彩として主張しすぎているように感じるほど、静まり返った場所。


「⋯⋯広いですね。一人には、少し贅沢なくらいだ」


僕が力なく呟くと、小林先生は車椅子のストッパーを固定し、僕の視線に合わせるように少し腰を落とした。


「ここは外部の刺激を遮断するために作られた、特別な病室なんだ。君が幻覚と向き合うためには、まず現実のノイズを消さなければならないからね」


先生の眼鏡の奥にある瞳が、ふと遠くを見つめるように細められた。


そこには、単なる医者が患者を見るのとは違う、もっと個人的で、深い悲しみを湛えた色が混ざっているように見えた。


​「佑介くん。⋯⋯君は、一人じゃない」


先生の手が、僕の肩にぽんと置かれた。


「僕は小林新。医師として、そして研究者として、この病を憎んでいる。⋯⋯かつて僕も、大切な人を守れなかった。病という理不尽な壁に、手を伸ばすことさえ許されなかったんだ」


先生の声は静かだったけれど、その言葉の端々から、焼き付くような後悔の念が伝わってきた。


彼がこの「夢幻症候群」の研究に没頭しているのは、自分のような思いを、もう誰にもさせたくないからなのかもしれない。


​「だからこそ、君には生きてほしいんだ。君だけの答えを見つけてほしい」


小林先生はそれだけ言い残すと、僕の背中を励ますように軽く叩き、静かに部屋を後にした。

カチリ、とドアが閉まる音が、僕と世界を切り離す合図のように響く。


静寂。


雨音すら遠のき、自分の心臓の音だけが耳の奥でドクドクと拍動している。
僕はベッドに腰を下ろし、真っ白な壁を見つめた。

幸一の笑い声も、島の鋭いツッコミも、ここには届かない。
不治の病にかかったことよりも、二人に会えなくなることに切なさを感じた。