四月の終わり。
校庭の新緑はますます濃くなり、
昼休みになるとどこかから風に揺れる葉の音が聞こえるようになった。
私はというと、
教室の窓際でぼんやり外を眺めていた。
理由はわかっている。
蒼士先輩に会えていない。
委員会の活動は週に一度。
資料整理で会ったあの日から、
次の週も、次の週も、
タイミングが合わなかった。
会えない日が続くと、
少しずつ胸の奥が不安でざわついていく。
「……会いたい」
自分の声が小さく漏れた。
誰にも聞かれたくない声。
でも本当の気持ち。
その時、背後から声がした。
「柚李、今日大丈夫?」
振り向くと、
教室の入り口に春斗が立っていた。
少し緊張したような、
何かを言い出せずにためらっている表情。
「放課後、話したいことがあるんだ」
春斗の声には揺れがあった。
私は胸が少しだけ痛くなる。
「……うん。いいよ」
その返事が本心なのか、
自分でも少しわからなかった。
放課後。
委員会があったはずの時間、
私は廊下で蒼士先輩の姿を探していた。
だけど、どこにもいない。
いつもなら資料室や職員室に立ち寄るのに。
今日はもう帰ってしまったのだろうか。
そう思うと、胸がぎゅっと縮まる。
そんな私を見つけたのは、やっぱり春斗だった。
「柚李」
呼ばれて振り返ると、
春斗が珍しく真剣な目をしていた。
「こっち、少しだけ」
呼ばれて階段下のスペースへ行くと、
春斗はしばらく黙り込んだまま、
何度も呼吸を整えていた。
「……俺さ」
「うん」
「ずっと、柚李のことが好きだった」
その言葉は、
静かな場所にそっと落ちるように響いた。
心臓が強く跳ねる。
ずっと薄々気づいていたのに、
いざ言葉にされると、
胸が痛くて、苦しくなった。
「俺、いつも近くにいるのに……
 柚李の目が、俺に向かないの知ってる。
 でも……それでも、言いたかった」
春斗の声が震える。
「蒼士先輩、なんだろ?」
私の身体がびくりと反応した。
「委員会の帰り、一緒に歩いてたの、見たから」
「……それは……」
どう言えばいいのかわからない。
曖昧な関係なのに、
誰にも説明できない感情がたしかにある。
春斗は苦笑した。
「わかってるよ。
 俺じゃ勝てないって。
 柚李がどっちを見てるかなんて、とっくに」
「そんな……」
「でもさ、負けるのわかってても、
 言わなきゃもっと後悔すると思った」
春斗の言葉は優しいのに、
聞いている私の胸は、ひりつくように痛かった。
「……ありがとう」
それしか言えなかった。
でも春斗は、少しだけ嬉しそうに笑った。
「ごめんね、急に。
 でも言えてよかった。
 柚李が笑ってくれれば、それでいい」
そう言って去っていく背中を見送りながら、
私は小さく息を吸い込む。
――誰かに想われることは嬉しい。
でも、応えられない優しさは、残酷だ。
胸の奥がずっとざわついていた。
家へ向かう帰り道、
夕焼けの色が少し強くなっていた。
ゆっくり校門へ向かうと、
そこに誰かが立っていた。
風に揺れる制服の袖。
長い影。
蒼士先輩だった。
胸が高鳴る。
「……先輩」
近づくと、
蒼士先輩は何かを言いかけて、
一度だけ目をそらした。
「今日、来なかったね。委員会」
「……来ました。すれ違いでしたけど」
「そっか」
蒼士先輩の声は淡々としているけれど、
その奥にほんの少しの焦りが見えた。
「もしかして、帰り……春斗と?」
ドキッと胸が跳ねる。
「え……どうして」
「見えたから。階段の方で話してたの」
隠したいわけじゃないのに、
どう言えばいいのかわからなくて、
唇が震えた。
沈黙のあと、
蒼士先輩がゆっくり言った。
「……柚李」
名前を呼ぶ声は、
今までよりもずっと近くて、痛かった。
「気をつけてって言ったのに。
 わかってるだろう?」
「……はい」
春斗への返事もしてない。
蒼士先輩へも想いを伝えてない。
どちらにも言葉にできないまま、
ただ胸の奥がぐちゃぐちゃになっていく。
「……大丈夫です」
そう言った瞬間、
風が吹いて、蒼士先輩の表情が少しだけ揺れた。
「そういう強がりが、一番大丈夫じゃないよ」
返す言葉が見つからなかった。
手を伸ばしてくれそうなのに、
絶対に触れない距離。
近づこうとしてくれているのに、
大人の壁が踏み込ませてくれない距離。
そんな彼の声が、
その距離の痛さそのものだった。
「……送るよ。家まで」
「え……でも」
「いいの。今日はなんか……柚李をひとりにしたくない」
胸の奥がきゅっと締まる。
嬉しいのに、苦しい。
近いのに、遠い。
その二つが重なって、
歩き出した帰り道がやけに長く感じた。
蒼士先輩の隣を歩くたび、
触れない距離が、
切なく響き続けていた。