山崎くんが戻って来て、数日が経った。
教室の中に山崎くんの笑い声が響く。
その度に私はなぜか背筋がぞくっとしてしまう。
「史花、大丈夫?」
と、世奈が心配してくれた。
「うん。大丈夫」
「無理すんなよ、あんな死体を見たあとなんだから」
龍樹はそう言ってから、
「でも、あれって何だったんだろう? 見間違いとかじゃ絶対ないと思うけど」
と、声をひそめた。
「いや、見たんだと思うよ。だって二人が揃って同じものを見間違えるとか、あんまりないでしょう?」
世奈も小声で返す。
「……ねぇ、あの死体って本当に山崎くんだった?」
「何言ってんの、史花。お前だって見ただろう?」
「うん……。でも、その……顔が、顔がなかったから」
世奈も龍樹も黙った。
「二人はなんでその死体が山崎くんだって思ったんだっけ?」
と、世奈。
「後ろ姿を見て、その人だって思うことだってあるだろ? 顔は確認出来なくても、山崎だって確信はあった」
「私も。髪型とか、雰囲気とか。山崎くんだって思った」
あの死体は山崎くんだって、疑わなかった。
だけど、今。
彼は何事もなかったかのように、私達と同じ教室にいる……。
「でも、今は何かが違うって思うんだ。だからあの死体がそもそも、山崎くんじゃなかったのかなって」
ひそひそと話していると、
「何を話しているの?」
と、近づいてきた人がいた。
クラスメイトの米田さんだった。
彼女はいわゆる目立つ女子で、自分に自信がある人なんだろうなって思う。
いつも堂々としていて、羨ましいくらい。
整った眉も、薄いメイクも、ほのかに香る香水も、全部が大人っぽくて、私達よりもずいぶん先を歩いているように思える。
「別に何も」
と、世奈がそっけなく答える。
「秘密の話〜? いいなぁ、私も混ぜてよ」
そっと龍樹の肩に手を置き、可愛らしく上目遣いで龍樹を覗き込む米田さんに、龍樹は二、三歩離れて米田さんの手をどかせた。
「なぁ〜に? 照れてるんだ?」
と、笑顔になる米田さんを見て、世奈が鋼のメンタルだなと、呟いた。
「ねぇ、時田さん。ちょっとだけいい? 話があって」
米田さんは私を見て、廊下へ歩き出した。
何か嫌な予感がしたけれど、とりあえず廊下に出る。
世奈もついて来てくれた。
「あれ? 時田さんだけ呼んだつもりだったけど、まぁ、いっか」
米田さんは笑顔で嫌味を言い、制服のポケットから何かを取り出した。
「はい、これ。私からの手紙なんだけど、龍樹くんに渡してくれない?」
水玉模様の封筒を、私に差し出す。
「えっ、なんで? 私が渡すの?」
「うん。渡してほしいんだ。それとも渡せないとかある? 龍樹くんと付き合ってたりするの?」
「……付き合って、ないよ」
でも、好きだから……。
この手紙に何が書いてあるのかは知らないけれど、他の女の子からの手紙なんて、龍樹に渡したくない。
「自分で渡せば?」
と、世奈。
「ごめんね。今、私は時田さんと話してるんだよね」
「いや、なんで史花に渡させようとしてんのか、あんたの魂胆は見えてるけどさ。そんな回りくどいこと、やめなよ」
「魂胆?」
「え? 違う? まさか違うとか言う?」
「違うって何が?」
世奈と米田さんが戦闘態勢に入ったことがわかり、私は慌てて差し出された手紙を受け取った。
「史花!」
「いいよ、渡しとく! 別にどうってことないし」
米田さんを怒らせたら、きっと面倒なことになる。
世奈が私のためにケンカして、いじめられたりしたら、そんなの絶対に嫌だから。
ここは、素直に受け止っておくほうがきっと良い……、よね?
「ありがとう〜、じゃ、頼んだからね! 渡しておいてね!!」
私達に可愛らしく手を振って、彼女は教室の中に入った。
受け取った手紙を、とりあえず制服のポケットにしまう。
「米田さんの言うことなんて、聞かなくていいのに」
「うーん……、まぁね」
「本当、自分で渡せよって思うわ」
教室に戻り、授業が始まった。
鞄にしまった米田さんの手紙を、本当に龍樹に渡すことが出来るのかなと考えると、心の中に鉛があるみたいに、どんよりした気持ちになった。
「じゃあ、この問題を山崎さん、解いてみて」
と、先生が山崎くんを見る。
指された山崎くんはニコニコ笑って、
「えっ? 僕?」
と、自分を指差す。
「そうです。さっきの問題と解き方は同じだから、挑戦してみましょう」
山崎くんはニコニコ笑って、
「えっ? えぇっ?」
と言いながら、自分の顔を撫でている。
「山崎さん?」
と、先生が彼の席に近づいていくと、山崎くんの緩んだ口元からよだれが垂れた。
「わっ!」
と、教室内が慌てた声を出した。
前の席に座っている間渕くんが眉間にシワを寄せて、
「汚ねぇな! お前、ちゃんとよだれ拭けよ!」
と、怒る。
「あーーー………」
山崎くんはだらしなく笑ったまま、のんびりした動作で口元を拭った。
手の甲がよだれで光っている。
「だ、大丈夫ですか?」
と、先生が尋ねても、山崎くんはニコニコと笑うだけで答えない。
「山崎くん、これ使って」
見兼ねた世奈が席を立ち、ポケットティッシュを山崎くんに渡す。
その時、世奈が山崎くんを不思議そうに見て、山崎くんもどこかはっきりしない瞳で世奈を見つめ、それを受け取った。
授業が終わり昼休みになると、いつものように給食を世奈と龍樹と食べるために、机を寄せ合った。
「……史花の言っている意味がわかった」
世奈が白身魚のフライにかぶりつきながら、山崎くんをチラッと見て言う。
「なんか、違うって私にもわかった。前もお調子者でニコニコと笑っている人だったけど、あの子、あんな感じじゃなかった」
「オレも、そう思う」
と、龍樹。
「それにね……」と世奈は何かを言いかけたけれど、「やっぱり忘れて」と、食パンをかじった。
「?」
何を言いかけたのか気になったけれど、私も黙って給食を食べた。
午後の授業も終わり、ホームルームの後。
私と龍樹は掃除当番で残らなくてはいけないから、世奈も教室内にいて待っていてくれた。
「ねっ、ねっ、これで動ける?」
と、山崎くんがまたハンカチで顔を隠して遊びだした。
「お前、もうやめとけって〜」
「掃除してくれよー」
男子達が笑って、山崎くんを見ている。
山崎くんは「あはははっ」と笑いつつ、
「こうやってさー、裏の林まで行けるか勝負しない? 先に着いたら勝ちね」
なんて言い出した。
「は? そんなの簡単じゃん」
「ってか足元のほう、見えてるんじゃねぇの? 勝負になんねぇよ」
馬鹿にしたような口ぶりの男子達に、山崎くんは、少し声のトーンを低くしてこう言った。
「だったら、勝負しようよ」
その声の変化に、私はゾッとした。
男子達は山崎くんの返事が挑発のように聞こえたのか、
「じゃあ、やってやろうじゃん! 足の速さには自信あるし!」
と、やる気になってしまった。
「やめとけって」
と、龍樹は言うけれど、
「大丈夫だって、負けねぇし」
なんて、彼らは聞く耳を持たない。
あろうことか、米田さんがほうきを持ったまま、
「女子も参加しよーよ!」
と、呼びかけた。
「面白そうだから、私もやってみたい」
「米田ちゃんもやるなら、私もやる!」
そう言って、みんなハンカチやハンドタオルなどで顔を隠して廊下に出て行った。
山崎くんが、
「スタート!」
と、両手をパチンと鳴らす。
「やめなよ、今は掃除の時間でしょう?」
と、学級委員長として注意してみたものの、みんな私を無視して林へ向かって走って行ってしまった。
「嫌な予感しかしない……」
そう言った世奈の予感が当たったことを、私達は翌日になって知ることとなった。
「ーーーえっ? 行方不明?」
「そうらしいよ。昨日の夜にさ、連絡が来たんだよね。米田ちゃん、家に帰ってないって」
「えー!? 何それ、家出?」
朝の教室。
登校した人達が、驚いた声を出している。
(家出? 米田さんが?)
私も通学鞄を机に置いて、一緒に登校した世奈の顔を見た。
世奈も私を見て、目を丸くしている。
「ねぇ、史花ちゃん。昨日、掃除当番で一緒だったんでしょう?」
と、クラスメイトの女子が近寄って来る。
「何か変わったことがなかったの? 行方不明になっているのってさ、米田ちゃん以外にもいるけど、ほとんど掃除当番だった人じゃん」
「そうなの?」
「男子も何人かいるみたいだよ。私の家には米田ちゃんと間渕くんの親から、どこにいるか知らないかって連絡が来たんだ」
「間渕くんも?」
「そう。いないんだって。米田ちゃんとは家が近いし、間渕くんとは親同士が仲が良くて……、それで連絡が来たんだけど」
奇妙だと思った。
一度に何人もいなくなるなんて……。
そういえば米田さんも間渕くんも、昨日山崎くんの挑発にのって林まで走って行った人の中にいた。
(まさか、関係している?)
「おはよー」
と、教室に入って来たのは、山崎くんだった。
「何か知らない?」
と、さっき話した女子が山崎くんに近寄る。
(山崎くんはここにいる。だったら林までの勝負は、無関係?)
どこか釈然としない気持ちでホームルームを迎えたら、クラス担任の大久保先生と一緒に、袴田先生もやって来た。
「学年主任の先生? なんで?」
と、ざわつく教室内。
袴田先生が教壇の前に立ち、咳払いをした。
「みなさんに落ち着いて聞いてほしいのですが、昨日の放課後、このクラスにいる六名の方が行方不明になっています」
「……っ」
「今日は授業を取りやめ、一斉下校をしてもらいます。各学区ごとに別れて、町内ブロックで集まり帰宅してもらいますので……」
ざわつく教室内に、先生はもう一度咳払いをして黙らせた。
校庭で全校生徒が学区別から更に町内ブロックごとに分かれて整列し、集団で下校することとなった。
世奈と龍樹と一緒に、同じ町内ブロックに並んだ。
「……どう思う?」
と、帰り道で龍樹が尋ねる。
「失踪した奴らってさ、山崎と同じなのかな?」
「同じって?」
と、世奈が龍樹を見上げる。
「裏の雑木林に探しに行ったら、いると思う?」
「……さぁ、わかんないけど、先生達からは自宅待機って言われてるじゃん」
私の言葉に龍樹は、
「でもさ、じっとなんかしてらんないって」
と言って、私と世奈の肩に手を置き、顔を寄せた。
その瞬間、龍樹の顔が間近だから、私の心臓がドクンドクンと暴れ始める。
龍樹はそんな私に気づくこともなく、ひそひそと囁くようにこう言った。
「オレらで探しに行こうぜ。きっと裏の雑木林にいる気がするんだよな」
「えー、それ、私も行くの?」
と、世奈が面倒臭そうに顔をしかめる。
「当たり前じゃん。オレらは三人一緒がいいんだからさ」
「……」
少しだけ、モヤっとしたものが心に生まれた。
(私と二人きりは、龍樹は嫌なのかな)
そう思ってすぐに、心の中で世奈に謝る。
帰宅してすぐ、私服に着替えてから、約束した龍樹の家の前に急いだ。
現代的な一軒家の真っ白い門扉の前で、龍樹が待っていてくれた。
「ごめん、待った?」
と言うと、龍樹は、
「デートに遅れた恋人のセリフみたい」
と、ニッといたずらっぽく笑った。
「はっ? ち、違うし。そんなんじゃないし」
咄嗟に照れ隠しで、わざと乱暴な言い方をすると、
「わかってるよ」
と、龍樹は更に笑った。
(うぅ、その表情、好き!)
ドキドキしつつ、米田さんの手紙のことを思い出し、いつかは渡さなければと心が沈んだ。
通りの向こうから世奈がのんびりとやって来るのが見えた。
「おっ、待たせたな」
と、世奈が一言。
「お前はオッサンなのか」
龍樹が楽しそうにツッコむと、
「今更気づいたのかね」
と、世奈が腰の位置で両手を組み、背中を丸めた。
「いや、ノリ良すぎかよ。……まぁ、いいや。行こうぜ」
三人でさっき帰って来た道を引き返す。
先生が見回りをしている可能性もあるから、周りを警戒しつつ、雑木林までやって来た。
「よし、行くぞ」
「うん」
恐るおそる林の中を進んでいたけれど、どれだけ歩いても、誰も見つけられない。
足元は草花が咲いていて、道らしい道ではない。
迷子になりかねないと思うと怖かった。
「山崎くんのことを発見した時って、こんなに奥まで来たの?」
世奈の質問に、私達は首を振る。
「林の中にも入ってないよ。入り口付近で倒れていた」
「だよな? こんな奥まで探してないよな」
「そっか。私、これだけ林の奥まで入ったの、初めてだよ。史花も龍樹も、はぐれないでね。迷子になるよ」
そう言っていると、何かがあることに気づいた。
「ねぇ、あそこ。何かあるよね?」
私が指差すと二人とも「本当だ」と言って、少し小走りになった。
近づくとそれは、わりと大きな石であることがわかった。
石の両脇にはどこかで摘んだのか、林に生えている草花が添えてある。
「ねぇ、これって……」
と、私は思わず息を呑む。
「誰かの、お墓……だよね?」
石を観察しても、どこにも何の文字も彫られていない。
それでもこの石が墓石であることは明らかだった。
ガサッ。
背後から音がした。
私達はビクッとなって、ゆっくり振り向く。
そこには見覚えのある顔があった。
「何をしているの?」
そう言って私達を睨んでいるのは、紛れもなく米田さんだった。
「米田さん!」
と、声をかけてから、彼女の異変に気づいた。
彼女の口まわりが真っ赤に染まっている。
米田さんは片眉を上げて、意地悪くニヤリと微笑んだ。
その時見えた彼女の歯も赤く染まっていて、それが血なんだと私達は本能的に察して、背筋が凍りついた。
教室の中に山崎くんの笑い声が響く。
その度に私はなぜか背筋がぞくっとしてしまう。
「史花、大丈夫?」
と、世奈が心配してくれた。
「うん。大丈夫」
「無理すんなよ、あんな死体を見たあとなんだから」
龍樹はそう言ってから、
「でも、あれって何だったんだろう? 見間違いとかじゃ絶対ないと思うけど」
と、声をひそめた。
「いや、見たんだと思うよ。だって二人が揃って同じものを見間違えるとか、あんまりないでしょう?」
世奈も小声で返す。
「……ねぇ、あの死体って本当に山崎くんだった?」
「何言ってんの、史花。お前だって見ただろう?」
「うん……。でも、その……顔が、顔がなかったから」
世奈も龍樹も黙った。
「二人はなんでその死体が山崎くんだって思ったんだっけ?」
と、世奈。
「後ろ姿を見て、その人だって思うことだってあるだろ? 顔は確認出来なくても、山崎だって確信はあった」
「私も。髪型とか、雰囲気とか。山崎くんだって思った」
あの死体は山崎くんだって、疑わなかった。
だけど、今。
彼は何事もなかったかのように、私達と同じ教室にいる……。
「でも、今は何かが違うって思うんだ。だからあの死体がそもそも、山崎くんじゃなかったのかなって」
ひそひそと話していると、
「何を話しているの?」
と、近づいてきた人がいた。
クラスメイトの米田さんだった。
彼女はいわゆる目立つ女子で、自分に自信がある人なんだろうなって思う。
いつも堂々としていて、羨ましいくらい。
整った眉も、薄いメイクも、ほのかに香る香水も、全部が大人っぽくて、私達よりもずいぶん先を歩いているように思える。
「別に何も」
と、世奈がそっけなく答える。
「秘密の話〜? いいなぁ、私も混ぜてよ」
そっと龍樹の肩に手を置き、可愛らしく上目遣いで龍樹を覗き込む米田さんに、龍樹は二、三歩離れて米田さんの手をどかせた。
「なぁ〜に? 照れてるんだ?」
と、笑顔になる米田さんを見て、世奈が鋼のメンタルだなと、呟いた。
「ねぇ、時田さん。ちょっとだけいい? 話があって」
米田さんは私を見て、廊下へ歩き出した。
何か嫌な予感がしたけれど、とりあえず廊下に出る。
世奈もついて来てくれた。
「あれ? 時田さんだけ呼んだつもりだったけど、まぁ、いっか」
米田さんは笑顔で嫌味を言い、制服のポケットから何かを取り出した。
「はい、これ。私からの手紙なんだけど、龍樹くんに渡してくれない?」
水玉模様の封筒を、私に差し出す。
「えっ、なんで? 私が渡すの?」
「うん。渡してほしいんだ。それとも渡せないとかある? 龍樹くんと付き合ってたりするの?」
「……付き合って、ないよ」
でも、好きだから……。
この手紙に何が書いてあるのかは知らないけれど、他の女の子からの手紙なんて、龍樹に渡したくない。
「自分で渡せば?」
と、世奈。
「ごめんね。今、私は時田さんと話してるんだよね」
「いや、なんで史花に渡させようとしてんのか、あんたの魂胆は見えてるけどさ。そんな回りくどいこと、やめなよ」
「魂胆?」
「え? 違う? まさか違うとか言う?」
「違うって何が?」
世奈と米田さんが戦闘態勢に入ったことがわかり、私は慌てて差し出された手紙を受け取った。
「史花!」
「いいよ、渡しとく! 別にどうってことないし」
米田さんを怒らせたら、きっと面倒なことになる。
世奈が私のためにケンカして、いじめられたりしたら、そんなの絶対に嫌だから。
ここは、素直に受け止っておくほうがきっと良い……、よね?
「ありがとう〜、じゃ、頼んだからね! 渡しておいてね!!」
私達に可愛らしく手を振って、彼女は教室の中に入った。
受け取った手紙を、とりあえず制服のポケットにしまう。
「米田さんの言うことなんて、聞かなくていいのに」
「うーん……、まぁね」
「本当、自分で渡せよって思うわ」
教室に戻り、授業が始まった。
鞄にしまった米田さんの手紙を、本当に龍樹に渡すことが出来るのかなと考えると、心の中に鉛があるみたいに、どんよりした気持ちになった。
「じゃあ、この問題を山崎さん、解いてみて」
と、先生が山崎くんを見る。
指された山崎くんはニコニコ笑って、
「えっ? 僕?」
と、自分を指差す。
「そうです。さっきの問題と解き方は同じだから、挑戦してみましょう」
山崎くんはニコニコ笑って、
「えっ? えぇっ?」
と言いながら、自分の顔を撫でている。
「山崎さん?」
と、先生が彼の席に近づいていくと、山崎くんの緩んだ口元からよだれが垂れた。
「わっ!」
と、教室内が慌てた声を出した。
前の席に座っている間渕くんが眉間にシワを寄せて、
「汚ねぇな! お前、ちゃんとよだれ拭けよ!」
と、怒る。
「あーーー………」
山崎くんはだらしなく笑ったまま、のんびりした動作で口元を拭った。
手の甲がよだれで光っている。
「だ、大丈夫ですか?」
と、先生が尋ねても、山崎くんはニコニコと笑うだけで答えない。
「山崎くん、これ使って」
見兼ねた世奈が席を立ち、ポケットティッシュを山崎くんに渡す。
その時、世奈が山崎くんを不思議そうに見て、山崎くんもどこかはっきりしない瞳で世奈を見つめ、それを受け取った。
授業が終わり昼休みになると、いつものように給食を世奈と龍樹と食べるために、机を寄せ合った。
「……史花の言っている意味がわかった」
世奈が白身魚のフライにかぶりつきながら、山崎くんをチラッと見て言う。
「なんか、違うって私にもわかった。前もお調子者でニコニコと笑っている人だったけど、あの子、あんな感じじゃなかった」
「オレも、そう思う」
と、龍樹。
「それにね……」と世奈は何かを言いかけたけれど、「やっぱり忘れて」と、食パンをかじった。
「?」
何を言いかけたのか気になったけれど、私も黙って給食を食べた。
午後の授業も終わり、ホームルームの後。
私と龍樹は掃除当番で残らなくてはいけないから、世奈も教室内にいて待っていてくれた。
「ねっ、ねっ、これで動ける?」
と、山崎くんがまたハンカチで顔を隠して遊びだした。
「お前、もうやめとけって〜」
「掃除してくれよー」
男子達が笑って、山崎くんを見ている。
山崎くんは「あはははっ」と笑いつつ、
「こうやってさー、裏の林まで行けるか勝負しない? 先に着いたら勝ちね」
なんて言い出した。
「は? そんなの簡単じゃん」
「ってか足元のほう、見えてるんじゃねぇの? 勝負になんねぇよ」
馬鹿にしたような口ぶりの男子達に、山崎くんは、少し声のトーンを低くしてこう言った。
「だったら、勝負しようよ」
その声の変化に、私はゾッとした。
男子達は山崎くんの返事が挑発のように聞こえたのか、
「じゃあ、やってやろうじゃん! 足の速さには自信あるし!」
と、やる気になってしまった。
「やめとけって」
と、龍樹は言うけれど、
「大丈夫だって、負けねぇし」
なんて、彼らは聞く耳を持たない。
あろうことか、米田さんがほうきを持ったまま、
「女子も参加しよーよ!」
と、呼びかけた。
「面白そうだから、私もやってみたい」
「米田ちゃんもやるなら、私もやる!」
そう言って、みんなハンカチやハンドタオルなどで顔を隠して廊下に出て行った。
山崎くんが、
「スタート!」
と、両手をパチンと鳴らす。
「やめなよ、今は掃除の時間でしょう?」
と、学級委員長として注意してみたものの、みんな私を無視して林へ向かって走って行ってしまった。
「嫌な予感しかしない……」
そう言った世奈の予感が当たったことを、私達は翌日になって知ることとなった。
「ーーーえっ? 行方不明?」
「そうらしいよ。昨日の夜にさ、連絡が来たんだよね。米田ちゃん、家に帰ってないって」
「えー!? 何それ、家出?」
朝の教室。
登校した人達が、驚いた声を出している。
(家出? 米田さんが?)
私も通学鞄を机に置いて、一緒に登校した世奈の顔を見た。
世奈も私を見て、目を丸くしている。
「ねぇ、史花ちゃん。昨日、掃除当番で一緒だったんでしょう?」
と、クラスメイトの女子が近寄って来る。
「何か変わったことがなかったの? 行方不明になっているのってさ、米田ちゃん以外にもいるけど、ほとんど掃除当番だった人じゃん」
「そうなの?」
「男子も何人かいるみたいだよ。私の家には米田ちゃんと間渕くんの親から、どこにいるか知らないかって連絡が来たんだ」
「間渕くんも?」
「そう。いないんだって。米田ちゃんとは家が近いし、間渕くんとは親同士が仲が良くて……、それで連絡が来たんだけど」
奇妙だと思った。
一度に何人もいなくなるなんて……。
そういえば米田さんも間渕くんも、昨日山崎くんの挑発にのって林まで走って行った人の中にいた。
(まさか、関係している?)
「おはよー」
と、教室に入って来たのは、山崎くんだった。
「何か知らない?」
と、さっき話した女子が山崎くんに近寄る。
(山崎くんはここにいる。だったら林までの勝負は、無関係?)
どこか釈然としない気持ちでホームルームを迎えたら、クラス担任の大久保先生と一緒に、袴田先生もやって来た。
「学年主任の先生? なんで?」
と、ざわつく教室内。
袴田先生が教壇の前に立ち、咳払いをした。
「みなさんに落ち着いて聞いてほしいのですが、昨日の放課後、このクラスにいる六名の方が行方不明になっています」
「……っ」
「今日は授業を取りやめ、一斉下校をしてもらいます。各学区ごとに別れて、町内ブロックで集まり帰宅してもらいますので……」
ざわつく教室内に、先生はもう一度咳払いをして黙らせた。
校庭で全校生徒が学区別から更に町内ブロックごとに分かれて整列し、集団で下校することとなった。
世奈と龍樹と一緒に、同じ町内ブロックに並んだ。
「……どう思う?」
と、帰り道で龍樹が尋ねる。
「失踪した奴らってさ、山崎と同じなのかな?」
「同じって?」
と、世奈が龍樹を見上げる。
「裏の雑木林に探しに行ったら、いると思う?」
「……さぁ、わかんないけど、先生達からは自宅待機って言われてるじゃん」
私の言葉に龍樹は、
「でもさ、じっとなんかしてらんないって」
と言って、私と世奈の肩に手を置き、顔を寄せた。
その瞬間、龍樹の顔が間近だから、私の心臓がドクンドクンと暴れ始める。
龍樹はそんな私に気づくこともなく、ひそひそと囁くようにこう言った。
「オレらで探しに行こうぜ。きっと裏の雑木林にいる気がするんだよな」
「えー、それ、私も行くの?」
と、世奈が面倒臭そうに顔をしかめる。
「当たり前じゃん。オレらは三人一緒がいいんだからさ」
「……」
少しだけ、モヤっとしたものが心に生まれた。
(私と二人きりは、龍樹は嫌なのかな)
そう思ってすぐに、心の中で世奈に謝る。
帰宅してすぐ、私服に着替えてから、約束した龍樹の家の前に急いだ。
現代的な一軒家の真っ白い門扉の前で、龍樹が待っていてくれた。
「ごめん、待った?」
と言うと、龍樹は、
「デートに遅れた恋人のセリフみたい」
と、ニッといたずらっぽく笑った。
「はっ? ち、違うし。そんなんじゃないし」
咄嗟に照れ隠しで、わざと乱暴な言い方をすると、
「わかってるよ」
と、龍樹は更に笑った。
(うぅ、その表情、好き!)
ドキドキしつつ、米田さんの手紙のことを思い出し、いつかは渡さなければと心が沈んだ。
通りの向こうから世奈がのんびりとやって来るのが見えた。
「おっ、待たせたな」
と、世奈が一言。
「お前はオッサンなのか」
龍樹が楽しそうにツッコむと、
「今更気づいたのかね」
と、世奈が腰の位置で両手を組み、背中を丸めた。
「いや、ノリ良すぎかよ。……まぁ、いいや。行こうぜ」
三人でさっき帰って来た道を引き返す。
先生が見回りをしている可能性もあるから、周りを警戒しつつ、雑木林までやって来た。
「よし、行くぞ」
「うん」
恐るおそる林の中を進んでいたけれど、どれだけ歩いても、誰も見つけられない。
足元は草花が咲いていて、道らしい道ではない。
迷子になりかねないと思うと怖かった。
「山崎くんのことを発見した時って、こんなに奥まで来たの?」
世奈の質問に、私達は首を振る。
「林の中にも入ってないよ。入り口付近で倒れていた」
「だよな? こんな奥まで探してないよな」
「そっか。私、これだけ林の奥まで入ったの、初めてだよ。史花も龍樹も、はぐれないでね。迷子になるよ」
そう言っていると、何かがあることに気づいた。
「ねぇ、あそこ。何かあるよね?」
私が指差すと二人とも「本当だ」と言って、少し小走りになった。
近づくとそれは、わりと大きな石であることがわかった。
石の両脇にはどこかで摘んだのか、林に生えている草花が添えてある。
「ねぇ、これって……」
と、私は思わず息を呑む。
「誰かの、お墓……だよね?」
石を観察しても、どこにも何の文字も彫られていない。
それでもこの石が墓石であることは明らかだった。
ガサッ。
背後から音がした。
私達はビクッとなって、ゆっくり振り向く。
そこには見覚えのある顔があった。
「何をしているの?」
そう言って私達を睨んでいるのは、紛れもなく米田さんだった。
「米田さん!」
と、声をかけてから、彼女の異変に気づいた。
彼女の口まわりが真っ赤に染まっている。
米田さんは片眉を上げて、意地悪くニヤリと微笑んだ。
その時見えた彼女の歯も赤く染まっていて、それが血なんだと私達は本能的に察して、背筋が凍りついた。



