秘めやかなる初恋 〜姉の許嫁に捧ぐ淡雪〜

遥斗からの告白にも似た言葉を受け、雪菜の心は波立ったままだった。彼の優しさと、決して嘘ではないであろう好意に触れるたび、悠真への想いが一層苦しくなる。私には、応えられない。そう何度も心の中で繰り返すのに、遥斗の真っ直ぐな視線が、どこか胸に残ってしまう。

そんな雪菜の複雑な心境をよそに、姉の志穂と悠真の関係は、順調に、そして着実に深まっていた。
週末の夜、片桐家のダイニングルームには、いつになく華やかな雰囲気が漂っていた。両親と志穂、そして悠真が揃って食卓を囲んでいる。雪菜もその場にいたが、いつものように、会話の中心には入れず、ただ静かに食事を進めていた。

「悠真さん、来月からのパリ出張、準備は順調なの?」
母が心配そうに尋ねる。
「はい、滞りなく進んでいます。向こうでのビジネスパートナーとの打ち合わせも調整済みです」
悠真が淀みなく答える。彼は常に完璧で、仕事に対しても真摯だった。

「パリ!いいねぇ、志穂も一緒に行くんだろ?」
父が冗談めかして言うと、志穂は楽しそうに笑った。
「そうしたいのは山々なんだけど、私も来月は新しいプロジェクトが立ち上がるから、残念ながら無理なのよ。でも、悠真さん、向こうで素敵なアンティークのブローチでも見つけてきてくださるんでしょう?」

「もちろんだ。志穂に似合うものを選んでくるよ」
悠真が優しい眼差しで志穂を見つめ、二人の間には甘い空気が流れる。
その光景を横目に、雪菜は手元のグラスをきつく握りしめた。

ああ、お姉様と悠真さんは、本当に幸せそうだ。
それは、偽りようのない、紛れもない真実。
食後、リビングに移り、家族団らんの時間が続く。志穂は悠真の隣に座り、身を寄せ合うようにして、楽しそうに談笑していた。結婚の具体的な話も、両家の間で少しずつ進んでいるらしい。年内には結納を、という話も聞こえてくる。

「ねぇ、ねぇ、雪菜」
不意に、志穂が雪菜に声をかけた。
「先日の悠真さんとのデート、本当に素敵だったのよ。新しくオープンしたフレンチのレストランも美味しかったし、美術館で見たシャガールも最高だったわ。今度、雪菜も一緒に行ってみない?」

志穂は、自分の幸せを分かち合うように、無邪気に話しかけてくる。その瞳には、一点の曇りもない。
「ええ、お姉様が楽しかったなら、何よりです」
雪菜は、精一杯の笑顔を作って答えた。心の中では、鋭利な刃物で切り裂かれるような痛みが走る。
『お姉様が楽しかったなら、何よりです』

自分以外の誰かが、悠真と過ごした楽しい時間を語る。それが、自分の姉であっても、この痛みは変わらない。むしろ、大切な姉だからこそ、この感情を抱いている自分が、ひどく醜いものに思えた。

悠真は、そんな雪菜の様子を、ちらりと見ていたような気がする。しかし、すぐに視線を志穂に戻し、穏やかに微笑んでいる。その悠真の視線が、雪菜の無理な笑顔に一瞬でも気づいたのかどうか、雪菜には分からなかった。あるいは、気づいていたとしても、何も言えない、言わないのが、彼の優しさであり、冷酷さなのかもしれない。

夜遅く、悠真が帰路につくため玄関に向かうと、志穂は彼に寄り添い、二人は親密な雰囲気で話し合っていた。雪菜は、その様子を二階の自室の窓から、そっと見下ろしていた。
「愛してるわ、悠真さん」
志穂の甘い声が、庭に響く。
「僕もだよ、志穂」

悠真の声も、いつもより深く、優しさに満ちているように聞こえた。
二人だけの世界。
雪菜は、窓のカーテンをそっと閉じた。
まるで、自分とは無縁の、遠い世界の出来事のように。
私の居場所は、ここではない。
そう、痛いほど理解していた。

姉の幸せを、心から願うべき妹なのに。
どうして、こんなにも苦しいのだろう。
雪菜は、胸の奥で渦巻く黒い感情に、そっと蓋をした。
この醜い想いが、誰にも気づかれないように。
淡雪のように、そっと消えてなくなればいいのに、と願いながら。