幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない


隼人に抱きしめられたあとのキッチンは、
どこかいつもよりあたたかい空気に包まれていた。

コンロの上では、
隼人が作ったポトフが
湯気をたててコトコト煮えている。

「座ってろ。
盛りつけは俺がやる」

そう言って隼人は器を取り出し、
野菜やソーセージを丁寧に盛りつけていく。

その背中を見つめながら、
由奈は胸の奥がじんわりと熱くなる。

(隼人さんがキッチンに立つ姿……
すごく好きかもしれない)

昨日の夜まで泣きはらしていた自分が、
こんな風に“恋する気持ち”を
ちゃんと思い出せていることが嬉しかった。



やがて食卓に
湯気の立つポトフが並び、
隼人が席につく。

「いただきます」

「いただきます……」

二人はスプーンを手に取った。

柔らかく煮えた野菜を口に運ぶと、
温かさが喉から胸へ、
そしておなかの奥へ広がっていく。

「……おいしい……」

由奈は思わず呟いた。

隼人がほっとしたように微笑む。

「よかった。
今日の由奈のために作ったんだから」

「今日の……わたしの?」

隼人はうなずいた。

「泣いたあとって、
身体が冷えるだろ。
それを温めたかった」

そのひと言に、
由奈の胸がまたきゅっとなる。

(隼人さん……
そんなに……)

恥ずかしいような、
嬉しいような、
切ないような気持ちがこみ上げる。

「……わたし、
本当に……隼人さんに守られてるんですね……」

「当たり前だろ」

隼人は淡々とした声で言ったが、
その目はどこまでも優しかった。

「由奈が誰かの影に怯える日が来るなんて、
二度と許さない」

「……はい」

由奈はスープを飲みながら、
心の奥がじんわり温まるのを感じた。

(わたし……
この人がいる限り、
どんな噂にも負けない気がする)



しばらく食卓には
スプーンの触れ合う優しい音だけが響いた。

食べ終わって、
ふと視線を上げると――
隼人がじっとこちらを見ていた。

「ゆ、由奈さん……?
なにか……ついてますか……?」

「いや」

隼人は首を横に振る。

「ただ……
落ち着いた顔してるなって思っただけだ」

由奈は頬が熱くなるのを感じた。

「……昨日のわたしとは
全然違いますよね……」

「うん。
“俺の隣にいる顔”になってる」

その言葉に、
思わず胸が跳ねた。

「……もうっ……
隼人さん、そういうの……ずるいです……」

「ずるいのはお前のほうだろ」

「え……?」

「帰ってきてすぐ、
自分から抱きついてきたくせに」

由奈の顔が一気に赤くなる。

「そ、それは……
あの……」

隼人は少し笑って、
そっと由奈の手に触れた。

「嬉しかったよ」

由奈の胸が、
ゆっくりと温かく満たされていく。

「……わたしも……
隼人さんに触れたかったんです」

「知ってる」

その答えが自然すぎて、
由奈は思わず笑ってしまった。

笑ったのは久しぶりだった。
涙じゃない笑顔で。

隼人も少し柔らかな表情になり、
二人は湯気の立つキッチンで
静かな時間を共有した。

嵐のあとは、
こんなにも優しい夜が来る。

由奈はスープの最後の一口を飲みながら、
心の中でそっと呟いた。

(この人となら……
やっと前を向ける)