幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない

隼人の声が、
ファミレスの冷たい空気を震わせた。

「……帰るぞ、由奈」

その声は強くも優しく、
どこか今にも壊れそうだった。

由奈は椅子から立ち上がりかけ、
しかし祐真の手がテーブルを軽く叩き、
にやりと笑った。

「へぇ……迎えに来たんだ。
昨日は触れられなかったくせに?」

由奈の背筋が震える。
隼人の目に、怒りの色が静かに灯った。

「……黙れ」

祐真は肩をすくめた。

「泣いてたぞ。
お前が原因で」

由奈は首を振り、
隼人に誤解されたくない一心で口を開く。

「ちがっ……祐真さんは、そんな……」

「由奈、説明しなくていい」

隼人は由奈の前に立ち、
祐真との視線を遮った。

その瞬間、
由奈は胸がぎゅっと熱くなるのを感じた。

(……守られた……)

しかし同時に、
胸の奥がざわつく。

(隼人さん……
私のために……怒ってくれてる……?
それとも……祐真さんに対して……?)

揺れる気持ちに答えは出ない。

隼人は深く息を吸い、
由奈の手をそっと取った。

強すぎず、弱すぎず。
確かな温度を持つ手。

「帰ろう。
こんなところで……ひとりにしない」

その言葉が、
由奈の心を静かに溶かした。



外に出ると、雨はほとんど止んでいた。

夜風が、泣き腫らした由奈の頬を冷やす。

隼人は傘を差しながら、
ちらりと由奈を見た。

涙の跡。
濡れた睫毛。
震える唇。

胸が痛む。

(……また泣かせた。
本当に俺は……どうすればいい)

隼人は傘を持つ手とは逆の手を伸ばした。

頬に触れる寸前で、
一瞬ためらう。

(触れて……いいのか)

しかし——
今は離したくなかった。

そっと指先が触れる。

ぬくもりが伝わった瞬間、
由奈の瞳が揺れた。

「……隼人さん……?」

「泣き腫らして……痛いだろ」

震える声。

触れ方は甘いのに、
言葉はどこか不器用で痛いほど優しい。

由奈は胸が熱くなった。

「……隼人さんのほうが……
痛そうな顔をしてます」

「……してるかもしれない」

隼人は微かに苦笑し、
由奈の頭に手を置いた。

小さく撫でる。

それだけで、
由奈の肩の力が抜けていく。

(ああ……
この手が……ずっと欲しかった)



マンションまでの帰り道、
二人はほとんど話さなかった。

けれど、
手は離れなかった。

離したら、またすれ違ってしまう気がしたから。

やっと玄関に着いたとき、
隼人が小さくつぶやいた。

「……ごめん。
迎えに来るの……遅くなった」

由奈は首を振る。

「来てくれて……嬉しかったです」

隼人の喉がかすかに震える。

「昨日……
“触れられない理由”を言っただろ」

「……はい」

「それでも……
触れてほしくないなら……言ってくれ」

由奈は目を伏せて、
小さく首を振った。

「触れられたく……ないわけじゃ……ありません」

隼人の目が静かに揺れた。

「じゃあ……離れないでほしい」

その言葉は、
怒りでも命令でもない。

“心の底からの願い” だった。

由奈は涙をこらえながら頷く。

「……離れません」

隼人の肩が、
ほっとゆるむ。

「由奈が……帰ってこないほうがいいなんて、
思ったこと、一度もない」

由奈の瞳に涙がまたあふれた。

「……良かった……」

その泣き顔に、
隼人は胸をぎゅっと掴まれた。

「泣くな……
泣かせてるの、俺だって……わかってるのに……」

隼人はそっと由奈を抱き寄せる。

強く。
でも乱暴ではなく。
守るように。

由奈は隼人の胸に額を押し当てながら、
震える声をこぼす。

「隼人さん……
私……
ちゃんと、隼人さんのそばにいたい……」

「俺も……だ」

隼人の腕に力が込められる。

互いの体温が、
ようやく深く重なった。



そのころ。

マンションの外。
街灯の陰に、麗華が立っていた。

スマホの画面には
“とある写真”が表示されている。

玄関で隼人と由奈が抱き合う姿。

麗華の表情は笑ったまま動かない。

「……いよいよね」

画面を閉じ、
新たなメッセージを作成する。

宛先:祐真
内容:——“次は私たちが動く番よ”

そして指が送信ボタンに触れた。

夫婦の心が少し近づいたその夜、
破滅への第二幕が
静かに開こうとしていた。