幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない

祐真から由奈を遠ざけたあと、
隼人は由奈の手首をそっと掴んだ。

強くではない。
でも、逃がさない確かな力。

「……帰ろう」

その声は低く、
抑えられた熱が滲んでいた。

由奈は言葉を飲み込み、
ただ静かに頷いた。

(怒ってる……?
私が祐真さんと話していたから……?)

胸が重くなる。

でも隼人の手は離れなかった。

会社を出て、
マンションまでの道を並んで歩く。

雨上がりの道路に街灯が反射し、
二人の影が並んで伸びていく。

けれど、その影よりも
ふたりの心の距離のほうが痛かった。



マンションに着き、
玄関の灯りをつけた瞬間だった。

隼人が由奈の手首を掴んだまま、
そのまま壁際へ追い詰めるように立った。

「……っ」

由奈の心臓が跳ねる。

隼人は、
普段は絶対にしないような強い視線で
由奈を見つめた。

「さっきのは……何だ?」

低く、震えた声。

怒りではない。
“恐怖”と“嫉妬”が混ざった、限界の声。

由奈は小さく首を振った。

「……何でもありません……」

「嘘をつくな」

その瞬間、
由奈の肩がびくっと震えた。

その震えを見た途端、
隼人の胸が痛みでえぐられる。

(……また震えさせた。
どうして俺は……)

隼人は声のトーンを落とした。

「……由奈。
さっき、あいつ……祐真に、何を言われた?」

由奈の呼吸が乱れる。

(言えない……
言ったら、隼人さんはもっと怒る……
迷惑かけたくない……)

俯いた由奈を見て、
隼人の感情がさらに揺れた。

(なぜ……言ってくれない)

胸の奥に渦巻いていた感情が爆発しそうになる。

「……俺より、あいつのほうが話しやすいのか?」

「ち、違います……!
そんなつもりじゃ……」

「じゃあ、なぜ俺には言わない?」

隼人の声が、
痛みによって少し強くなった。

由奈は必死に言葉を探す。

(言えない、言えない……
“重い女は嫌われる”って……
また思われちゃう……)

喉の奥がきゅっと締まる。

「……隼人さんに……迷惑かけたくないから……」

その一言が、
隼人の胸を深く突き刺した。

「迷惑……?」

隼人は息を飲む。

(誰がそんなことを……
由奈に……言った……?)

拳が震える。

祐真の顔が浮かぶ。
麗華の影も浮かぶ。

全部、
由奈を“弱らせるため”に動いているとしか思えなかった。

「由奈」

隼人は一歩近づき、
真正面から由奈を見た。

「俺は……
お前を迷惑だなんて、一度も思ったことはない」

声が震えていた。

由奈は驚き、顔を上げる。

隼人の瞳は、
必死で、苦しそうで、
どこよりも真剣だった。

「離れるほうが……よっぽど、嫌なんだ」

胸の奥から絞り出すような声。

由奈は言葉を失った。

(隼人さん……そんなふうに……)

隼人の指が、
由奈の頬に触れようと近づいた。

触れたい。
触れたいのに。

でも、触れられない。

指先が、
由奈の頬の手前で震えて止まった。

(怖い……また、泣かせてしまうかもしれない)

一瞬、隼人の表情に
深い悲しみが走った。

その“触れられなかった儚い距離”が、
由奈の胸に重く沈む。

(……隼人さんは、触れたくないの?
私に……触れたくないの?)

違う。
隼人は触れたい。
誰よりも触れたい。

けれど――
触れない理由があった。

由奈はそれを知らない。

隼人は言えない。

すれ違いは、また深くなった。



沈黙が落ちた部屋で、
隼人は最後にひとつだけ言葉を残した。

「……もう二度と、
あいつの前にひとりで立つな」

それは命令でも束縛でもない。

“守りきれなかった自分への誓い”に近い言葉。

でも由奈には違って聞こえた。

(……また迷惑かけた……
また、怒らせた……)

胸が痛くて、
呼吸が浅くなる。

隼人は、
由奈が泣きそうなのを見て
また手を伸ばした。

しかし——届かない。

触れられない。

触れられなかった。

その距離が、
ふたりの心に深い影を落とした。