夕方。
窓の外の光が淡く落ち、
ビルのガラスに街の夕暮れが映っていた。
由奈はデスクで書類をまとめながら、
深く息を吐く。
(……隼人さん、
私に何も言わなかったな……)
麗華と話していた隼人の後ろ姿が、
まだ胸に刺さっていた。
(私より……麗華さんのほうが、
隼人さんにとって話しやすいんだ)
その考えが頭から離れない。
胸の奥がずきりと痛む。
(でも、私……
隼人さんの役に立てていないもの)
そう思うたびに、
由奈の心は少しずつ削れていった。
同じ頃。
隼人は会議室から出てきた麗華から距離を取ろうとしながら、
スマホを取り出して由奈にメッセージを打とうとした。
――今日は帰り、迎えに行く。
――話がしたい。
――離れたくない。
どれも本音なのに、
指が止まる。
(言ったら……また由奈を追い詰めるかもしれない)
昨日の雨の夜が、
胸に重たく張り付いて離れない。
(……俺は、どうすればいい)
決められないまま、
メッセージは下書きに残される。
そんな隼人を見つめる影があった。
麗華だ。
彼女は隼人の横顔を見ながら、
静かに微笑んだ。
“焦り”と“迷い”を見抜いた笑み。
(いいわ。
そろそろ決めましょう、隼人)
麗華はスマホを取り出し、
誰かに短く連絡を送った。
――準備、お願い。
その相手は社内の同僚。
麗華の動かせる“コマ”のひとつ。
何が始まるのかを、
まだ誰も知らなかった。
そのころ、外の自販機前。
由奈が缶コーヒーを買おうとしたとき、
背後から声がした。
「……由奈?」
凍りついた。
この声を忘れられるわけがない。
ゆっくり振り返ると——
祐真が立っていた。
整った顔立ちも、
どこか冷たい目も、
記憶のまま。
だけど今は、
その冷たさに“狙い”があった。
「久しぶりだな。
昨日は……悪かった」
由奈は息を飲む。
(謝るなんて……
祐真さんらしくない……)
祐真は苦笑し、
歩み寄ってくる。
「怖がるなよ。
あんだけ震えられたら……
さすがに放っとけねぇだろ」
その言い方が、
懐かしいのに、胸を刺した。
由奈は一歩下がる。
「……あの、仕事が……」
祐真はさらに近づき、
声を落とす。
「もしかして……
あの旦那とうまくいってねぇの?」
由奈の目が揺れた。
祐真は、
嘘を見抜くのがうまい。
「だったら……話くらい聞かせろよ。
俺、由奈の泣き顔……嫌いじゃなかったし」
(……違う。
祐真さんは、泣く私が嫌いだった)
心の中で否定しても、
声にならない。
胸に苦しい影が広がっていく。
そのときだった。
ロビーのガラス越しに、
隼人の姿が見えた。
部署の同僚に呼ばれ、
真剣な表情で話を聞いている。
祐真はその視線の先に気づき、笑う。
「……ああ、なるほどな。
優しい顔して、結構冷てぇタイプか」
「ち、違います……
隼人さんは、そんな……」
「あいつがどうかなんて興味ねぇけど、
お前……追い詰められてんじゃね?」
由奈の胸が苦しくなった。
祐真は、
その弱さを見逃さない。
「なら……俺のとこに戻れよ。
昔みたいに」
――その瞬間。
「……何してる?」
低い声が背後から落ちた。
由奈も祐真も、
ビクリと振り返った。
隼人が立っていた。
濡れたような鋭い眼差し。
雨の夜に近づけなかった手とは正反対に、
彼は今、
由奈と祐真の距離を一瞬で測り取っていた。
「由奈」
その呼び方は、
怒りではなく——
明らかな“奪い返す”声だった。
祐真が口の端を上げる。
「お、旦那さん。
心配しなくても、ちょっと話してただけ——」
隼人は祐真を見なかった。
由奈だけを見つめ、
静かに問いかけた。
「……どうして、この男といる?」
その声は、
抑えられた限界の音だった。
由奈の心臓が震える。
胸の奥に隠していた不安が溢れそうになる。
祐真が横から言葉を挟む。
「別にいいだろ。
夫婦でも、話くらい——」
次の瞬間。
隼人の目が初めて、
祐真に向けられた。
射抜くような視線だった。
「由奈に……近づくな」
その静かな一言に、
祐真は初めて僅かに目を細めた。
(……やっぱり、ムカつくな)
その裏で——
麗華は廊下の角から、
その三人を見つめていた。
満足げな微笑みを浮かべながら。
(さあ……もっと揺れなさい、片岡夫婦)
影は、動き出した。
そして夫婦の心は、
今まさに“崩れはじめた”。
窓の外の光が淡く落ち、
ビルのガラスに街の夕暮れが映っていた。
由奈はデスクで書類をまとめながら、
深く息を吐く。
(……隼人さん、
私に何も言わなかったな……)
麗華と話していた隼人の後ろ姿が、
まだ胸に刺さっていた。
(私より……麗華さんのほうが、
隼人さんにとって話しやすいんだ)
その考えが頭から離れない。
胸の奥がずきりと痛む。
(でも、私……
隼人さんの役に立てていないもの)
そう思うたびに、
由奈の心は少しずつ削れていった。
同じ頃。
隼人は会議室から出てきた麗華から距離を取ろうとしながら、
スマホを取り出して由奈にメッセージを打とうとした。
――今日は帰り、迎えに行く。
――話がしたい。
――離れたくない。
どれも本音なのに、
指が止まる。
(言ったら……また由奈を追い詰めるかもしれない)
昨日の雨の夜が、
胸に重たく張り付いて離れない。
(……俺は、どうすればいい)
決められないまま、
メッセージは下書きに残される。
そんな隼人を見つめる影があった。
麗華だ。
彼女は隼人の横顔を見ながら、
静かに微笑んだ。
“焦り”と“迷い”を見抜いた笑み。
(いいわ。
そろそろ決めましょう、隼人)
麗華はスマホを取り出し、
誰かに短く連絡を送った。
――準備、お願い。
その相手は社内の同僚。
麗華の動かせる“コマ”のひとつ。
何が始まるのかを、
まだ誰も知らなかった。
そのころ、外の自販機前。
由奈が缶コーヒーを買おうとしたとき、
背後から声がした。
「……由奈?」
凍りついた。
この声を忘れられるわけがない。
ゆっくり振り返ると——
祐真が立っていた。
整った顔立ちも、
どこか冷たい目も、
記憶のまま。
だけど今は、
その冷たさに“狙い”があった。
「久しぶりだな。
昨日は……悪かった」
由奈は息を飲む。
(謝るなんて……
祐真さんらしくない……)
祐真は苦笑し、
歩み寄ってくる。
「怖がるなよ。
あんだけ震えられたら……
さすがに放っとけねぇだろ」
その言い方が、
懐かしいのに、胸を刺した。
由奈は一歩下がる。
「……あの、仕事が……」
祐真はさらに近づき、
声を落とす。
「もしかして……
あの旦那とうまくいってねぇの?」
由奈の目が揺れた。
祐真は、
嘘を見抜くのがうまい。
「だったら……話くらい聞かせろよ。
俺、由奈の泣き顔……嫌いじゃなかったし」
(……違う。
祐真さんは、泣く私が嫌いだった)
心の中で否定しても、
声にならない。
胸に苦しい影が広がっていく。
そのときだった。
ロビーのガラス越しに、
隼人の姿が見えた。
部署の同僚に呼ばれ、
真剣な表情で話を聞いている。
祐真はその視線の先に気づき、笑う。
「……ああ、なるほどな。
優しい顔して、結構冷てぇタイプか」
「ち、違います……
隼人さんは、そんな……」
「あいつがどうかなんて興味ねぇけど、
お前……追い詰められてんじゃね?」
由奈の胸が苦しくなった。
祐真は、
その弱さを見逃さない。
「なら……俺のとこに戻れよ。
昔みたいに」
――その瞬間。
「……何してる?」
低い声が背後から落ちた。
由奈も祐真も、
ビクリと振り返った。
隼人が立っていた。
濡れたような鋭い眼差し。
雨の夜に近づけなかった手とは正反対に、
彼は今、
由奈と祐真の距離を一瞬で測り取っていた。
「由奈」
その呼び方は、
怒りではなく——
明らかな“奪い返す”声だった。
祐真が口の端を上げる。
「お、旦那さん。
心配しなくても、ちょっと話してただけ——」
隼人は祐真を見なかった。
由奈だけを見つめ、
静かに問いかけた。
「……どうして、この男といる?」
その声は、
抑えられた限界の音だった。
由奈の心臓が震える。
胸の奥に隠していた不安が溢れそうになる。
祐真が横から言葉を挟む。
「別にいいだろ。
夫婦でも、話くらい——」
次の瞬間。
隼人の目が初めて、
祐真に向けられた。
射抜くような視線だった。
「由奈に……近づくな」
その静かな一言に、
祐真は初めて僅かに目を細めた。
(……やっぱり、ムカつくな)
その裏で——
麗華は廊下の角から、
その三人を見つめていた。
満足げな微笑みを浮かべながら。
(さあ……もっと揺れなさい、片岡夫婦)
影は、動き出した。
そして夫婦の心は、
今まさに“崩れはじめた”。

