幼馴染の影と三年目の誤解 ――その笑顔は、私に向かない

隼人に手を引かれたまま、
由奈は家までの帰り道を歩いていた。

手は繋がれている。
それなのに、心はどこか遠い。

(隼人さん……怒ってる……?)

いや、怒りだけじゃない。
歩幅も少し早く、
手の力も普段より強い。

まるで――
“何かを奪い返した”みたいに。

家に着くと、
隼人は玄関で靴を脱ぎながら
静かに言った。

「……さっきの男。
祐真って言ったな」

由奈の心臓が跳ねた。

「え……あ……はい……」

声が震える。

隼人はコートを掛ける手を止めず、
事務的に質問を続ける。

「昔の……“どういう関係”だ?」

その声には冷たさよりも、
“知らないことに対する苛立ち”が滲んでいた。

由奈は胸を押さえ、
苦しげに唇を噛む。

(言えない……
言ったら、嫌われる……)

“泣く女は面倒くさい”
“もっと普通の子が良かった”

祐真のあの言葉が
喉の奥にひっかかって、
声が出ない。

「えっと……ただの……大学のときの……」

うまく言葉が出てこない。

隼人はゆっくり振り返り、
由奈を見つめた。

夜の室内灯が隼人の瞳に光を落とし、
その奥にある感情が読み取れない。

「……ただの?
由奈は、あいつの前で震えてた」

由奈の胸がズキッと痛む。

(見られてた……?)

祐真に怯えたこと。
震えが止まらなかったこと。
隼人にまで見られたなんて――
恥ずかしくて、情けなくて、
自分が小さく見える。

うつむいて黙り込んでいると、
隼人はさらに言った。

「……怖かったのか?」

由奈は唇を噛む。

“怖かった”
その言葉を認めたら、
過去の自分の弱さも全部認めることになる。

だから、嘘をついた。

「……ち、違います。
全然……怖く、なかったです」

本当は震えていたのに。

隼人の眉がわずかに動いた。
その表情は“怒り”ではない。

“なぜ嘘をつくんだ”
という静かな傷のような表情。

でも、由奈は気づかない。

隼人のほうは一度視線をそらし、
静かに深呼吸するように言った。

「……もういい。無理に話さなくていい」

その声は穏やかだけれど、
どこか沈んでいた。

(……また、すれ違っちゃった)

由奈の胸の中で、
苦しい音がする。



その翌日。

由奈が昼休みに休憩室へ向かうと、
麗華が先にコーヒーを飲んでいた。

「由奈さん」

麗華は由奈を見ると、
優しげに微笑んだ。

「祐真くんと会ってたんでしょう?」

由奈はびくりと肩を震わせた。

(どうして……知ってるの……?)

麗華はカップを指で軽く叩きながら、
さも当然のように続けた。

「隼人、昨日すごく不機嫌そうだったもの。
あなた……何かした?」

言い方は柔らかい。

でもその中に、
“あなたのせいで隼人が不安定になっている”
という棘が隠されていた。

由奈は俯くしかなかった。

「……ただの偶然で……」

麗華は小さく笑って言う。

「でも、祐真くん……昔あなたの恋人だったんでしょう?
隼人、それ知ってるの?」

由奈の胸が一瞬止まる。

(知らない……隼人さんには言ってない……)

麗華はその沈黙を
“図星”だと察した。

「……やっぱり。
言わないのは、隼人に誤解させるわよ?」

麗華の声は柔らかいが、
その瞳は冷たい。

「隼人ってね――
好きなものほど無自覚に嫉妬するタイプなの」

(え……隼人さん……?
嫉妬……?)

麗華は由奈の心の揺れを見透かすように微笑む。

「でも、気をつけてね。
嫉妬って、重なると“冷める”こともあるの。
……男って、そういう生き物よ?」

その一言で、
由奈の胸がきゅう、と苦しくなった。

隼人は――
私に冷めてしまうの……?

その不安が静かに芽生え始めたとき。

麗華は言った。

「祐真くんのこと、ちゃんと清算しておかないと。
隼人が“面倒な女”だと思っちゃったら……
帰る場所が変わってしまうかもね」

その言葉は
毒を含んだ甘い蜜のように
由奈の心にしみ込んでいく。

由奈は何も言えず、
ただ席に座り込んだ。

麗華はコーヒーを飲み干し、
軽く微笑んで去っていく。

――祐真という影が、
由奈だけでなく、
隼人の心にも静かに入り込みはじめていた。