翌朝。
神殿には昨日の出来事の余韻が色濃く残っていた。

雪蘭が姿を見せると、
神官たちの視線が一斉に集まる。
彼らの顔には期待と不安と混乱が複雑に混じり合っている。
最高位の巫女・蓮音も霊鏡を胸に抱えたまま、
心なしか緊張を走らせていた。

「雪蘭様……体調は、もうよろしいのでしょうか?」
「昨日の神気は、どのように感じられたのですか?」
「霊鏡から何か神託は……?」
「幻獣の声は、耳に届きませんでしたか……?」
神官達から立て続けに質問が飛ぶ。
雪蘭は少し困ったように首を横に振った。
「いいえ……特に何かを聞いたわけでも、神託があったわけでも……」

その言葉と同時に、
神官たちの肩がふっと落ちた。
「ああ……そうですか……」
「昨夜の異変ゆえ、つい……期待してしまいました。」
彼らは一様に落胆の色が隠せない。
幻獣が最後に姿を現したのは60年も前のことだ。
当時の神官たちはもう既にこの世を去り、
45年前の火災で貴重な書物の多くが焼け落ちたため、
幻獣が現れた時どうなるかということが
実は誰も分かっていなかったのだ。
ただ分かっているのは、
今回の神事が明らかにいつもと違うことだけ。

(……ごめんなさい。
 役に立てるようなことが何も言えず……)
雪蘭は胸がひりついた。
そんな雪蘭を見兼ねて、凌暁が一歩前に出る。
「昨夜の件は、雪蘭の責ではない。これ以上執拗に問うのはやめていただこう。」
その低く静かな声に、
神官たちは慌てて頭を下げた。

自分を庇ってくれる凌暁の姿に
雪蘭の胸が温かくなる。
(凌暁様……)

しかしこの時の雪蘭はまだ知らない。
あの時、実は“何もなかった”のではなく、
すでに神の霊力が宿り始めていたことを。