十日目。
神殿は白い燭台の炎だけが揺らめき、
荘厳な静寂に包まれていた。

神官たちが四つの幻獣に向けて、
九日間の神事が滞りなく終わったことを奉告し、
長い祈りを捧げる。
国主たちと正妃たちは、
その背後で神官に合わせて静かに祈りを重ねていた。

最奥で儀を統べるのは、
最高位の巫女・蓮音。
彼女が手にする神器——霊鏡は、神の世界と繋がると言われる神具である。
鏡面は薄く光を帯び、
風もないのにゆらゆらと神気が揺れ出していた。

長い祈りも終盤に差し掛かった頃、
それは突然起こった。

雪蘭の肩が、小さく震え始める。
「……っ」
祈りの姿勢のまま、呼吸が乱れ、
顔がみるみる蒼くなる。
「雪蘭?」
隣にいた凌暁がすぐ気付く。
だが次の瞬間には、
彼女は額を押さえ、苦しげに身を屈めた。

「か、何かが……私の中に。頭に、入ってくる……っ」

苦しそうに呻く雪蘭の姿に動揺が広がる。
「大変だ!霜華国の正妃様が——!」
「こんなことは、これまで一度も……!」
神殿がざわめきに包まれ、
神官たちは慌てふためき、
儀式は一時中断される。

蓮音ですら霊鏡を抱きしめ、
狼狽を隠せていなかった。
「今年は……幻獣が……現れるのか……?」
誰かがボソリと呟く。
加護を与えるべく幻獣が姿を現したのは
今から60年前の神事が最後。
この場に会する者たちの中で、
それを目にした者はいない。

「まさか、本当に兆しが……?」
国主たちの間でも囁きが広がる。
長く続く神事の歴史の中で、
こんな異変は前例がなかった。

凌暁は迷わず雪蘭の肩を抱いて立ち上がり、
彼女の耳元で低く囁いた。
「雪蘭、もう大丈夫だ。私が連れて行く。」

彼は神官たちに一礼すると
雪蘭を抱き上げるように支え、
寝殿へと向かった。