恋のリハーサルは本番です

目を覚ましたとき、
あかりの部屋には、静かな陽が差し込んでいた。

昨日までの喧騒が嘘のようだ。
鳴り響く拍手も、照明の熱もない。
代わりに、コーヒーメーカーの湯気と、
小鳥のさえずりが部屋を満たしていた。

(……舞台が、終わったんだ)

ぼんやりと天井を見上げる。

あの世界では、
すべてが“役”だった。
感情も、言葉も、
脚本に書かれた通りに動く安全な場所。

けれど今は、
何を言っても、何をしても──
誰も演出してくれない現実だ。

それが少し怖い。
けれど、どこか解放された気分でもあった。




スマートフォンが震える。
画面には、短いメッセージ。蓮からのものだった。

> 『おはようございます。
今日、少し話せませんか?』



あかりは、一瞬ためらい、
それからゆっくりと返信を打つ。

> 『はい。午後からなら、大丈夫です。』



指先が微かに震えているのを、自覚しながら。



午後二時。
二人は、劇場の近くのカフェで再会した。

あの稽古帰りに立ち寄った場所。
同じ窓際の席、
けれど雰囲気はまるで違っていた。

「……終わりましたね」

あかりが言うと、
蓮は静かに頷いた。

「終わった、というより……
 ようやく始まった気がします」

あかりは、少し笑う。

「舞台が終わって、始まる?」

「はい。
 あの舞台では、“他人の言葉”を生きてましたから」

蓮の視線が、まっすぐあかりに向かう。

「これからは、自分の言葉で話したいんです。
 あなたに」

その言葉が、心の奥に落ちていく。

あかりはカップを両手で包み、
静かに尋ねた。

「……蓮さんは、私に何を伝えたいんですか?」

蓮は、少し息を整える。

「俺、あの舞台で気づいたんです」

「“選ばれる”ことより、
 “選びたい”人がいることの方が、
 ずっと大切なんだって」

あかりの胸が、熱くなる。

「だから俺は……
 あかりさんを、選びたい」

沈黙が、ふたりの間を包む。
外の喧騒が、まるで遠くに感じられた。




「……ありがとう」

あかりは、そう言って、
小さく息を吐いた。

「でも、少しだけ時間をください」

蓮は驚かず、微笑んだ。

「分かってます。
 あかりさんの“答え”は、
 いつだって言葉を選ぶ人のものですから」

彼の声は優しかった。
責めるでも、焦るでもない。
まるで台詞ではなく、本当の会話のように。

「……私も、ちゃんと選びたいです」

その言葉に、蓮は頷く。

「待ってます。
 リハーサルなしの人生で、
 あなたと向き合えるなら」


二人は、席を立ち、
冬の光の中へ歩き出した。

風が冷たく頬を撫でる。
けれど、不思議と痛くはなかった。

(リハーサルのない人生……)

あかりは小さく笑う。

(……悪くないかも)