恋のリハーサルは本番です

楽屋の明かりが、一つ、また一つと消えていく。

終演後の劇場は、
昼間とはまるで別の場所のように静かだった。

あかりは、廊下のベンチに腰を下ろし、
膝の上に置いた台本を見つめていた。

(……もう、この台本も終わりなんだ)

何度も推敲し、
何度も書き換え、
感情を押し込めてきた紙束。

その端に、
自分の指がかすかに震えていることに気づく。

「……まだ、帰らないのか」

声をかけてきたのは、
高峰翔だった。




「翔さん……」

あかりは、少し驚きながらも頷く。

「ええ、少しだけ」

翔は、壁にもたれて腕を組む。

「桜井、覚悟決めた顔してたな」

あかりは、答えない。

否定も、肯定もできなかった。

「……俺さ」

翔が、ぽつりと言う。

「昔、選ばれなかった側だった」

あかりは、はっとして翔を見る。

「待つことが、優しさだと思ってた」

「でもな」

翔は、静かに笑った。

「待たれてる方は、
 それを“選択”として受け取れないこともある」

その言葉は、
あかりの胸に、深く刺さった。

「……だから、忠告」

翔は、視線を逸らしながら言う。

「中途半端なままなら、
 選ばない方が残酷だ」

そして、踵を返す。

「じゃあな、センセ」

その背中は、
もう物語に介入しない人のものだった。




入れ違いに、蓮が現れる。

私服に着替え、
舞台上とは違う、少し不安そうな表情。

「あかりさん……」

「……お疲れさま」

その一言だけで、
胸の奥が温かくなる。

二人は並んで歩き出す。

楽屋口から外へ出ると、
夜風が、熱を帯びた肌を冷やした。

「俺」

蓮が、歩きながら言う。

「答え、急がせる気はないです」

「でも……」

立ち止まり、あかりを見る。

「逃げられるのは、怖い」

正直な声だった。

役者としてではなく、
一人の男として。

あかりは、深く息を吸う。



「……私ね」

夜空を見上げながら、あかりは言う。

「脚本を書くとき、
 一番怖いのは“決断”なんです」

「誰を幸せにして、
 誰を傷つけるか」

「全部、自分で決めなきゃいけないから」

蓮は、黙って聞いている。

「でも……」

あかりは、蓮の方へ向き直る。

「舞台を降りた今、
 それを誰かのせいにはできない」

一歩、近づく。

「蓮さん」

名前を呼ぶ声は、
はっきりしていた。

「私は……
 あなたと向き合うことを選びます」

蓮の目が、見開かれる。

「それは──」

あかりは、微笑んだ。

「恋かどうかは、まだ分かりません」

「でも、
 脚本家としてじゃなく、
 一人の人として」

「逃げずに、向き合うって決めました」

沈黙。

そして、蓮は、ゆっくりと笑った。

「……それで、十分です」



少し離れた場所で、
美咲は劇場を振り返っていた。

(ちゃんと、終わった)

舞台も、恋も。

胸は少し痛むけれど、
それ以上に、前を向けている自分がいる。

「……次は、私の番だね」

そう呟いて、歩き出した。



舞台は終わった。

けれど、
人生のリハーサルは、まだ続く。

本番は──
いつだって、これからだ。