恋のリハーサルは本番です

夜の街は、舞台の余韻とは無関係に、淡々と人を飲み込んでいた。

蓮は歩きながら、何度もスマホを握り直す。
画面には、あかりの名前。

──かける?
──いや、違う。

(声だけじゃ、伝わらない)

翔の言葉が、まだ胸の奥で響いている。

待つのは、優しさじゃないこともある。

(俺は……今まで、何を守ろうとしてたんだ)

役者だから。
脚本家だから。
舞台があるから。

そうやって線を引いて、
一番大事なことから逃げていた。



一方、あかりは部屋でノートパソコンを開いたまま、
画面を見つめていた。

カーソルが、静かに点滅している。

(……一文字も、書けない)

今日の舞台。
蓮の声。
美咲の表情。

全部が、頭の中で交錯して、
言葉にならない。

(距離を取るって、決めたのに)

翔の提案。
自分なりの覚悟。

それなのに──

胸の奥が、ずっとざわついている。

(蓮さん……探してるかな)

そう思った瞬間、あかりは首を振った。

(ダメ。期待しちゃ)

脚本家として。
“選ばれる側”に回らないと決めたはずなのに。

その時──

インターホンが鳴った。

あかりは、びくりと肩を揺らす。

(こんな時間に?)

もう一度、短く鳴る。

心臓が、嫌なほど大きく鳴った。




恐る恐る、ドアを開ける。

そこに立っていたのは──

「……あかりさん」

息を切らした蓮だった。

夜風に乱れた髪。
舞台衣装ではない、私服の姿。

あかりの思考が、一瞬止まる。

「……どうして」

声が、うまく出ない。

蓮は、少しだけ息を整えてから、まっすぐに言った。

「話したくて」

「待つの、やめました」

あかりの胸が、強く跳ねる。

「……私は、今、距離を置いてて」

「知ってます」

蓮は、即答した。

「だから来ました」

その言葉に、あかりは言葉を失う。

(ずるい……)

こんなふうに、真正面から来られたら。




部屋に入ることもなく、
二人は廊下に立ったまま。

距離は近いのに、
触れられない。

「俺……ずっと考えてました」

蓮が、低く言う。

「待つのが正解だと思ってた。
 あかりさんの邪魔をしないのが、優しさだって」

あかりは、唇を噛む。

「……違うの?」

蓮は、首を振った。

「それ、逃げでした」

静かな声だった。

「選ばれない可能性から、目を逸らしてた」

あかりの胸が、ぎゅっと締め付けられる。

「……私は」

言いかけて、言葉に詰まる。

蓮は、続けた。

「役者だから、脚本家だからって、
 線を引くの、もうやめたい」

「俺は──」

そこで、少しだけ言葉を選ぶ。

「……あかりさんを、失いたくない」

それは告白の手前。
でも、十分すぎるほどの本音。




あかりの目に、涙が滲む。

「……蓮さん、それはずるいです」

「今、そんなこと言われたら」

蓮は、逃げなかった。

「それでも、言いたかった」

沈黙。

長く、重い沈黙。

やがて、あかりは小さく息を吐いた。

「……私は、怖いんです」

「もし、選ばれなかったら」

「舞台が終わったあと、
 全部“勘違い”だったらって」

脚本家らしくない、
弱い声。

蓮は、ゆっくりと言った。

「じゃあ、終わるまででいい」

あかりが顔を上げる。

「……え?」

「舞台が終わるまで、
 俺は逃げない」

「答えを急がせない」

「でも──」

一歩、距離を詰める。

「気持ちからは、引かない」

廊下の明かりが、二人を照らしていた。



あかりの心は、まだ揺れている。

けれど──
逃げ場は、もうなかった。