恋のリハーサルは本番です

翌日。
劇場は、終幕を目前にした独特の緊張に包まれていた。

拍手の質が変わってきている。
物語を“観ている”拍手ではなく、
感情を受け取ったあとの拍手に。

それは成功の証であり──
同時に、終わりが近いという合図でもあった。




あかりは、いつもの席にいなかった。

開演前、関係者席の端。
舞台全体が見渡せるが、
蓮と視線が合わない位置。

(……決めたんだから)

昨夜、翔の言葉を何度も思い返した。

──中途半端に近くにいると、あいつは待つ。

あかりは、ノートパソコンを膝に置き、
あえて画面を開かない。

今日は“脚本家”として、
ではなく──

(……一歩引く)

それが、自分なりの覚悟だった。



開演直前。

蓮は、無意識に客席を探していた。

(……いない)

いつもなら、
始まる前に必ず感じる視線。

緊張と安心が混じった、
あかりの存在。

それが、ない。

「蓮、どうした?」

美咲が声をかける。

「……いや、なんでも」

そう答えながら、胸がざわつく。

(来てない?
それとも……見えないだけ?)

理由も分からない不安。

だが、幕は待ってくれない。

「本番、行くよ」

美咲の声に、蓮は深く息を吸った。




芝居は、今日も完璧だった。

台詞は身体に染み込み、
感情は自然に流れる。

けれど──

蓮は、何度も無意識に視線を走らせてしまう。

(……どこだ)

客席の端。
関係者席。

どこにも、あかりの姿が“はっきり”見えない。

(……なんで)

集中しなければ、と自分を叱る。

だが、胸の奥に小さな焦りが芽生えていた。

──離れている。

理由も分からないまま、
それだけが、はっきり伝わってくる。




蓮の微妙な変化を、
美咲は見逃さなかった。

(……追ってる)

演技中にも関わらず、
蓮の意識が舞台の外へ向いている。

(あかりさん、か)

胸が、ちくりと痛む。

それでも、美咲は笑った。

(……いいよ)

自分は、もう覚悟を決めた。

“選ばれない可能性”を抱えたまま立つ覚悟を。

ヒロインとして、
そして──

一人の役者として。




カーテンコールが終わる。

拍手は、昨日よりも大きかった。

だが蓮は、喜びよりも、
一つの感情に支配されていた。

(会いたい)

楽屋を出て、客席へ向かう。

──いない。

スタッフに聞いても、
「今日はすぐ帰られたみたいですよ」と言われる。

胸が、はっきり痛んだ。

(……あかりさん)

その時、後ろから声がした。

「追わないの?」

振り返ると、高峰翔が立っていた。

「……翔さん」

翔は肩をすくめる。

「一歩引いた女はな、
 追われなきゃ、本当に離れる」

蓮は、息を呑む。

「……俺は」

言いかけて、言葉に詰まる。

翔は、静かに告げた。

「待つのは、優しさじゃないこともある」

「選ばないって選択だ」

その言葉が、胸に深く突き刺さった。




蓮は、劇場を飛び出していた。

理由なんて、もうどうでもいい。

ただ──

(離れたまま、終わらせたくない)

雨上がりの夜道を走りながら、
スマホを握りしめる。

けれど、電話はしない。

(……会って言う)

自分の言葉で。

舞台じゃなく、台詞でもなく。

──役者としてでも、脚本家としてでもなく。

一人の人間として。




遠ざけたはずの距離が、
逆に蓮の心を強く引き寄せていた。

終幕は、すぐそこまで迫っている。

舞台も、恋も。