恋のリハーサルは本番です

ざわめきに満ちた客席。
二日目の公演も、初日と同じく満席だった。

袖で立つ蓮は、深く息を吸い、静かに吐く。

(集中しろ……今は舞台の上だけを見るんだ)

照明が落ち、音楽が流れ、幕が上がる。

“恋の物語”が、また始まった。




ヒロインを演じる美咲が、蓮の前に立つ。

「……どうして、何も言ってくれないの?」

震える声。
台本通りのセリフ。

「守りたかったんだ。君を──」

蓮のセリフが、客席に真っ直ぐ届く。
だが、その言葉は、まるで別の誰かに向けているように、胸に響いた。

(……あかりさん)

美咲の瞳が、一瞬、揺れた。

(今の言葉……蓮、私に向けたものじゃない)

それでも彼女は、ヒロインとして微笑み、役を全うする。

拍手。
どよめき。
観客は“嘘の恋”に、酔いしれていた。

だが、舞台上の二人の胸の内だけは、真逆の嵐に包まれていた。



あかりは、台本を膝に置いたまま、じっと舞台を見つめていた。

(……蓮さん)

あのセリフ。
あの目。

それが“演技”だと分かっていても、心が勝手に反応してしまう。

(私は脚本家なのに……どうして、こんなに苦しいの)

自分が書いた物語。
自分が作った恋。

それが、目の前で“現実の感情”を伴って動いていることが、怖くもあり、切なくもあった。




幕が下り、鳴りやまぬ拍手。

楽屋に戻る役者たちを迎えたのは、神埼だった。

「二日目も成功だ。
初日より安定している」

佐藤もうなずく。

「特に桜井。感情の乗せ方が良くなった」

蓮は小さく頭を下げた。

「ありがとうございます」

だが、その横で、美咲はどこか複雑な表情を浮かべていた。

(“感情が乗ってる”……ね。
それ、私への感情じゃないのに)

誰にも気づかれないよう、そっと唇を噛みしめる。




廊下に出た蓮の前に、翔が立ちふさがった。

「さっきの芝居……」

「何ですか」

「よかったよ。
だがな──」

翔は、静かに告げる。

「お前、完全に“私情”を舞台に持ち込んでる」

「それの、何が悪いんですか」

「悪くない。
だが、それで救われる保証はどこにもない」

翔は一歩、蓮に近づいた。

「美咲は“役”として、お前の想いを受け止めている。
だが、水無月は違う。
彼女は──客席で、一人で受け止めている」

その言葉が、蓮の胸を鋭く突く。

「……っ」

「逃げ続けるなら、舞台が終わった後、もっと残酷な“本番”が待ってるぞ」

翔はそれだけ言うと、立ち去っていった。




終演後の静かなロビー。

あかりは一人、出口へ向かって歩いていたが──途中で足を止めた。

(……このままじゃ、だめ)

スマホを取り出し、蓮の名前をタップする。

《今夜、少しだけ……話せませんか》

送信ボタンを押した瞬間、心臓が大きく跳ねた。

──すぐに、既読。

そして、数秒後。

《はい。どこで会いますか?》

短い返事。
けれど、それだけで胸がいっぱいになる。

《劇場の裏口で》

《分かりました》

送信後、あかりはそっと胸に手を当てた。

(役者だから……脚本家だから……
その線、もう引けないかもしれない)



冷たい夜風の中、蓮は先に裏口に立っていた。

すると、足音。

「……蓮さん」

振り向くと、そこに立っていたのはあかりだった。

互いに、言葉が出ない。

沈黙だけが、二人の間に落ちる。

「舞台……今日も、すごく良かったです」

最初に口を開いたのは、あかりだった。

「ありがとうございます」

ぎこちない返事。

その沈黙を破るように、あかりは続ける。

「でも……あのセリフ」

「……」

「あれは、台本を書いた私に向けた言葉じゃないですよね」

蓮の胸が、大きく波打つ。

「……あれは」

言葉に詰まる。

“嘘の恋”のセリフ。
だが、“本音の恋”でもあった。

蓮は、ようやく口を開く。

「……演技、です」

一瞬、あかりの瞳が揺れ、そして微かに曇った。

「……そう、ですよね」

分かっていたはずの答え。
でも、胸が痛む。

「私が勘違いするような演技、しないでください」

その震える声に、蓮の心が軋む。

「水無月さん……」

「私は、脚本家として、蓮さんを支えたいだけです。
それ以上は……求めちゃ、いけないんです」

そう言って、あかりは一歩、後ずさる。

(違う……本当は、求めてるくせに)

でも、その言葉は言えなかった。




蓮は立ち尽くしたまま、あかりの背中を見送る。

(求めちゃいけない?
そんなこと……もう、とっくに越えてるのに)

一方、あかりは小走りで夜道を進みながら、こらえていた涙が溢れそうになる。

舞台の上は“嘘の恋”。
胸の中は“本音の恋”。

その矛盾が、今、限界まで二人を追い詰めていた。

そしてそのすれ違いを──
美咲は、誰よりも近くで、静かに見つめていた。