夜の稽古場 ──
初日の喧騒が嘘のように、稽古場は静まり返っていた。
照明も落とされ、舞台の上には闇だけが広がっている。
その中央に、桜井蓮は一人、立っていた。
「……はあ」
深く息を吐く。
あれほど夢見た舞台の初日。
満員の客席。
鳴りやまぬ拍手。
役者としては、これ以上ない成功だった。
(なのに……なんで)
胸の奥が、妙に冷える。
あかりの言葉が、何度も頭に浮かぶ。
──「最高でした。脚本家としても、観客としても」
(“役者として”じゃないんだ……)
わかっている。
彼女は脚本家だ。
役者と脚本家は、本来、同じ舞台に立つ存在ではない。
それでも。
(俺は……あかりさんに、役者としてだけ見られたいわけじゃない)
蓮は、ぎゅっと拳を握った。
劇団のロビー ──
その頃、美咲は一人、自動販売機の前に立っていた。
ペットボトルの水を片手に、しばらくぼんやりと床を見つめる。
(……やっぱり)
初日の成功は嬉しい。
代役として、完璧に務め上げた自負もある。
でも──
(蓮の視線、全部あかりさんのほう見てた)
舞台の上では、確かに自分を“ヒロイン”として見ていたはずなのに。
カーテンコールのあと、蓮の目が探していたのは、自分ではなかった。
「……ばかみたい」
小さく呟く。
高校時代。
同じ演劇部で、同じ夢を語って、同じ舞台を見ていた。
(あの頃は……私のほうだけ見てたくせに)
悔しさと、諦めと、それでも捨てきれない想い。
美咲は、そっと胸に手を当てた。
夜道──
あかりと高峰翔は、並んで歩いていた。
街灯の下、二人の影が長く伸びる。
「……送らなくていいって言ったのに」
「桜井の前で言わせるな。ああなるの分かってただろ」
「……」
言い返せず、あかりは視線を落とした。
「脚本家って立場、便利だよな」
不意に、翔が言う。
「何がですか?」
「“想ってもいいけど、踏み込まなくていい”って、逃げ道がある」
あかりは、はっとする。
「……高峰さん」
「桜井を好きなんだろ?」
直球だった。
「……分かっていました?」
「舞台の上なんて、役者は全部さらけ出してる。
誰を見てるかなんて、すぐ分かる」
しばらく沈黙。
やがて、あかりは小さくうなずいた。
「……はい。
でも、それは“好き”って言葉でいい感情なのか、今は分かりません」
「脚本家だから?」
「……はい」
あかりは、指先を強く握った。
「私がここで“恋”を選んだら、蓮さんは“俳優”として揺れてしまう気がして……
それが、怖いんです」
翔は、少しだけ目を細めた。
「優しいな。
でも、それって──残酷でもある」
「……」
その言葉が、胸に刺さる。
蓮のアパート ──
夜遅く、蓮は一人、自室に戻っていた。
ソファに倒れ込み、天井を見つめる。
「……くそ」
あかりが翔と歩いていく背中。
それだけで、胸の奥が締めつけられる。
(ライバルなのは、舞台だけじゃないのかよ……)
携帯を手に取る。
“水無月あかり”の名前が、画面に表示される。
かけたい。
声が聞きたい。
でも──
(今、俺が連絡したら……)
彼女を困らせるだけだと、分かってしまう。
蓮は、ゆっくりと携帯を伏せた。
夜更け、あかりの部屋──
あかりは机の前に座り、ノートパソコンを開いていた。
画面には、新しい改稿中の台本。
タイトル──
『恋のリハーサルは本番です』
キーボードに指を置いたまま、動けずにいる。
(……私は、何を書いているんだろう)
物語の中の二人は、素直に惹かれ合って、衝突して、そして前に進んでいく。
(現実の私は……何も前に進めていない)
そのとき、パソコンの端に通知が光った。
──桜井蓮:
《初日、ありがとうございました。
すごく緊張しましたけど……舞台の上に立てたのは、あかりさんのおかげです》
短いメッセージ。
それだけで、胸がいっぱいになる。
(……ずるい)
返したい。
でも、返せない。
あかりは、そっと画面を閉じた。
拍手に包まれたはずの夜。
それぞれの胸の内では、むしろ静かな波紋だけが広がっていく。
恋と仕事。
想いと距離。
三角関係は、まだ誰にも“答え”を許さない。
初日の喧騒が嘘のように、稽古場は静まり返っていた。
照明も落とされ、舞台の上には闇だけが広がっている。
その中央に、桜井蓮は一人、立っていた。
「……はあ」
深く息を吐く。
あれほど夢見た舞台の初日。
満員の客席。
鳴りやまぬ拍手。
役者としては、これ以上ない成功だった。
(なのに……なんで)
胸の奥が、妙に冷える。
あかりの言葉が、何度も頭に浮かぶ。
──「最高でした。脚本家としても、観客としても」
(“役者として”じゃないんだ……)
わかっている。
彼女は脚本家だ。
役者と脚本家は、本来、同じ舞台に立つ存在ではない。
それでも。
(俺は……あかりさんに、役者としてだけ見られたいわけじゃない)
蓮は、ぎゅっと拳を握った。
劇団のロビー ──
その頃、美咲は一人、自動販売機の前に立っていた。
ペットボトルの水を片手に、しばらくぼんやりと床を見つめる。
(……やっぱり)
初日の成功は嬉しい。
代役として、完璧に務め上げた自負もある。
でも──
(蓮の視線、全部あかりさんのほう見てた)
舞台の上では、確かに自分を“ヒロイン”として見ていたはずなのに。
カーテンコールのあと、蓮の目が探していたのは、自分ではなかった。
「……ばかみたい」
小さく呟く。
高校時代。
同じ演劇部で、同じ夢を語って、同じ舞台を見ていた。
(あの頃は……私のほうだけ見てたくせに)
悔しさと、諦めと、それでも捨てきれない想い。
美咲は、そっと胸に手を当てた。
夜道──
あかりと高峰翔は、並んで歩いていた。
街灯の下、二人の影が長く伸びる。
「……送らなくていいって言ったのに」
「桜井の前で言わせるな。ああなるの分かってただろ」
「……」
言い返せず、あかりは視線を落とした。
「脚本家って立場、便利だよな」
不意に、翔が言う。
「何がですか?」
「“想ってもいいけど、踏み込まなくていい”って、逃げ道がある」
あかりは、はっとする。
「……高峰さん」
「桜井を好きなんだろ?」
直球だった。
「……分かっていました?」
「舞台の上なんて、役者は全部さらけ出してる。
誰を見てるかなんて、すぐ分かる」
しばらく沈黙。
やがて、あかりは小さくうなずいた。
「……はい。
でも、それは“好き”って言葉でいい感情なのか、今は分かりません」
「脚本家だから?」
「……はい」
あかりは、指先を強く握った。
「私がここで“恋”を選んだら、蓮さんは“俳優”として揺れてしまう気がして……
それが、怖いんです」
翔は、少しだけ目を細めた。
「優しいな。
でも、それって──残酷でもある」
「……」
その言葉が、胸に刺さる。
蓮のアパート ──
夜遅く、蓮は一人、自室に戻っていた。
ソファに倒れ込み、天井を見つめる。
「……くそ」
あかりが翔と歩いていく背中。
それだけで、胸の奥が締めつけられる。
(ライバルなのは、舞台だけじゃないのかよ……)
携帯を手に取る。
“水無月あかり”の名前が、画面に表示される。
かけたい。
声が聞きたい。
でも──
(今、俺が連絡したら……)
彼女を困らせるだけだと、分かってしまう。
蓮は、ゆっくりと携帯を伏せた。
夜更け、あかりの部屋──
あかりは机の前に座り、ノートパソコンを開いていた。
画面には、新しい改稿中の台本。
タイトル──
『恋のリハーサルは本番です』
キーボードに指を置いたまま、動けずにいる。
(……私は、何を書いているんだろう)
物語の中の二人は、素直に惹かれ合って、衝突して、そして前に進んでいく。
(現実の私は……何も前に進めていない)
そのとき、パソコンの端に通知が光った。
──桜井蓮:
《初日、ありがとうございました。
すごく緊張しましたけど……舞台の上に立てたのは、あかりさんのおかげです》
短いメッセージ。
それだけで、胸がいっぱいになる。
(……ずるい)
返したい。
でも、返せない。
あかりは、そっと画面を閉じた。
拍手に包まれたはずの夜。
それぞれの胸の内では、むしろ静かな波紋だけが広がっていく。
恋と仕事。
想いと距離。
三角関係は、まだ誰にも“答え”を許さない。



