翌日の稽古場。
台本を開く手が少しだけ汗ばんでいるのを、蓮は自覚していた。
昨日から美咲が稽古に加わり、空気がどこか変わっている。
演出家も、照明スタッフも、彼女を見る目が違う。
経験の浅い代役のはずなのに、堂々とした佇まい。セリフのひとつひとつに呼吸がある。
「次のシーン、もう一度お願いします。——桜井さんと椎名さん、お願いします」
演出家の声に、蓮は小さくうなずき、立ち位置に向かった。
美咲が向かいに立つ。目が合った瞬間、胸の奥がわずかに熱くなる。
「行かないで……あなたがいないと、私……」
美咲の声は、まっすぐに心を撃ち抜くようだった。
その目が、まるで“台詞”ではなく“本心”を語っているように見えて、蓮は思わず言葉を詰まらせる。
「……そんなこと、言うなよ」
その声が、舞台の空気を震わせた。
一瞬の沈黙。
演出家が「いい、今の感情そのまま残して」と満足げに頷く。
稽古が終わると、あかりがそっと近づいてきた。
ノートパソコンを片手に、いつものように脚本の修正点をメモしている。
だが、その指先は微かに震えていた。
「……いいシーンでしたね」
あかりの声は笑顔に包まれていた。けれど、その奥にある小さな棘に、蓮は気づかないふりをした。
「美咲さん、昔からあんな感じだったの?」
「ああ……負けず嫌いで、真っすぐで。俺がよく叱られてた」
「ふふ、目に浮かびます」
笑い合いながらも、あかりの胸の奥に言葉にならない痛みが広がる。
仕事としての関係──それが二人の“距離”のはずだった。
けれど今、彼の目が他の誰かに向けられているのを見て、どうしようもなく胸がざわついた。
稽古が終わったあと、美咲があかりに声をかけてきた。
「水無月さん、脚本、すごく素敵です。私、この役を通して、もう一度“誰かを信じる”ってことを思い出しました」
「ありがとうございます」
笑顔で返したけれど、あかりの中で何かが音を立てて崩れた気がした。
その夜、彼女はカフェの片隅で一人、ノートパソコンを開いた。
白い画面を前に、指先が止まる。
──あの二人の表情を思い出すたび、台詞が書けなくなる。
脚本家なのに、自分の感情が書けない。
仕事と恋、その境界が少しずつ滲んでいく。
画面に浮かんだままの未完成な一文。
> 「恋のリハーサルは、いつか本番になる──」
その言葉を見つめながら、あかりはそっと目を閉じた。
まだ彼女自身も知らなかった。
この感情が、やがて彼女の“脚本”を変えていくことになることを。
台本を開く手が少しだけ汗ばんでいるのを、蓮は自覚していた。
昨日から美咲が稽古に加わり、空気がどこか変わっている。
演出家も、照明スタッフも、彼女を見る目が違う。
経験の浅い代役のはずなのに、堂々とした佇まい。セリフのひとつひとつに呼吸がある。
「次のシーン、もう一度お願いします。——桜井さんと椎名さん、お願いします」
演出家の声に、蓮は小さくうなずき、立ち位置に向かった。
美咲が向かいに立つ。目が合った瞬間、胸の奥がわずかに熱くなる。
「行かないで……あなたがいないと、私……」
美咲の声は、まっすぐに心を撃ち抜くようだった。
その目が、まるで“台詞”ではなく“本心”を語っているように見えて、蓮は思わず言葉を詰まらせる。
「……そんなこと、言うなよ」
その声が、舞台の空気を震わせた。
一瞬の沈黙。
演出家が「いい、今の感情そのまま残して」と満足げに頷く。
稽古が終わると、あかりがそっと近づいてきた。
ノートパソコンを片手に、いつものように脚本の修正点をメモしている。
だが、その指先は微かに震えていた。
「……いいシーンでしたね」
あかりの声は笑顔に包まれていた。けれど、その奥にある小さな棘に、蓮は気づかないふりをした。
「美咲さん、昔からあんな感じだったの?」
「ああ……負けず嫌いで、真っすぐで。俺がよく叱られてた」
「ふふ、目に浮かびます」
笑い合いながらも、あかりの胸の奥に言葉にならない痛みが広がる。
仕事としての関係──それが二人の“距離”のはずだった。
けれど今、彼の目が他の誰かに向けられているのを見て、どうしようもなく胸がざわついた。
稽古が終わったあと、美咲があかりに声をかけてきた。
「水無月さん、脚本、すごく素敵です。私、この役を通して、もう一度“誰かを信じる”ってことを思い出しました」
「ありがとうございます」
笑顔で返したけれど、あかりの中で何かが音を立てて崩れた気がした。
その夜、彼女はカフェの片隅で一人、ノートパソコンを開いた。
白い画面を前に、指先が止まる。
──あの二人の表情を思い出すたび、台詞が書けなくなる。
脚本家なのに、自分の感情が書けない。
仕事と恋、その境界が少しずつ滲んでいく。
画面に浮かんだままの未完成な一文。
> 「恋のリハーサルは、いつか本番になる──」
その言葉を見つめながら、あかりはそっと目を閉じた。
まだ彼女自身も知らなかった。
この感情が、やがて彼女の“脚本”を変えていくことになることを。



