恋のリハーサルは本番です

 封筒の中に入っていた写真を見つめながら、蓮はベッドの上に腰を下ろしていた。

 高校時代の演劇部。
 スポットライトの下で、肩を並べて笑っている自分と美咲。

(……いつの間に、こんなに遠くなったんだ)

 そのとき、スマホが震えた。
 表示された名前は──椎名美咲。

『今から少し、会えない?』

 一瞬、迷った。
 けれど、封筒の重みが背中を押した。

『……分かった。稽古場の近くの公園で』



 夜の公園は、人影もまばらで、街灯だけが静かに二人を照らしていた。

「久しぶりだね……こうして二人きりで話すの」

 そう切り出した美咲の声は、どこか緊張していた。

「……手紙、ありがとう」

「読んだんだ」

「うん」

 蓮はポケットから、あの写真を取り出した。

「これ……懐かしいな」

「本気で役者になるって決めたの、あの舞台のあとだったよね」

「ああ」

 一瞬だけ、昔に戻ったかのような空気が流れる。

 けれど、美咲は静かに息を吸い込み、真正面から蓮を見た。

「……私ね。ずっと言えなかった」

 握りしめた指が、かすかに震えている。

「東京に出て、蓮が遠くなっても──
 どんな役者になっても──
 ずっと……好きだった」

 蓮の胸が、ぎゅっと締めつけられる。

「美咲……」

「分かってる。今さらだってことも、
 あかりさんがいることも」

 それでも、と美咲は続けた。

「それでも……ちゃんと伝えたかった。
 想い出の中で終わらせたくなかった」

 沈黙が、二人の間に落ちる。

 蓮は、すぐに答えられなかった。
 あかりの顔が、脳裏に浮かぶ。

「……俺」

 言葉を選びながら、口を開く。

「美咲は、大切な幼なじみだ。
 演劇部の仲間で、今も同じ舞台に立つ戦友だ」

 美咲は、何も言わずに聞いている。

「でも……恋としては、答えられない」

 はっきりと告げた瞬間、美咲の肩がわずかに揺れた。

「……そっか」

 美咲は微笑もうとしたが、その笑顔は少しだけ歪んだ。

「うん。そうだよね。
 あかりさんがいるんだもんね」

「……ごめん」

「謝らないで。これは、私が勝手に抱いてた気持ちだから」

 そう言って、美咲は一歩だけ後ろへ下がった。

「でも一つだけ、お願いしていい?」

「……何?」

「舞台の上では、私をヒロインとして見て。
 中途半端な優しさ、いらないから」

 その言葉は、役者としての矜持そのものだった。

「……分かった。全力で向き合う」

 蓮がそう答えると、美咲はようやく、少しだけ安心したように息を吐いた。

「それでこそ、桜井蓮だよ」

 そうして、美咲は小さく手を振り、背を向けた。

「私、強くなるから。
 あかりさんにも、舞台にも……負けないくらい」

 夜風の中を、彼女は一度も振り返らずに歩いていった。



 一方その頃──

 あかりは自室で、ノートパソコンの前に座り、画面を見つめたまま動けずにいた。

(……蓮、今頃何してるんだろう)

 距離を置くと決めたはずなのに、心は言うことを聞かなかった。

 そこへ、神埼からの着信。

『水無月、佐藤が呼んでる。明日の稽古前、早めに来てくれ』

「……分かりました」

 通話を切ったあと、あかりは小さく呟いた。

「私は……脚本家。恋なんて、二の次……だよね」

 キーボードに手を置くが、指は動かない。

 画面に映るタイトルは、あの物語──

『恋のリハーサル』

(この台本だけは……最後まで、ちゃんと書き上げなきゃ)

 けれど、その“恋”の正体が、
 自分自身の心であることを、あかりはもう分かっていた。



 同じ夜。
 蓮はアパートに戻り、天井を見上げたまま動けずにいた。

(美咲にも、あかりにも……俺は何を選ぶんだ)

 役者として。
 一人の男として。

 本番は、もうすぐそこまで迫っている。