恋のリハーサルは本番です

 稽古場には、張りつめた静けさが漂っていた。

 いつもより照明が白く、床に落ちる影がくっきりと伸びている。



「立ち位置、そこじゃない。高峰、半歩前。……桜井は、もっと感情を押さえろ」



 演出家・佐藤の声が、冷静に飛ぶ。



「……はい」



 蓮は短く返事をして、再び台本に視線を落とした。

 その横顔を、あかりは無意識に目で追ってしまう。



(……目、合わせづらい)



 昨夜の告白が、頭から離れない。

 自然に話していたはずの距離が、今は妙に遠く感じた。



「じゃあ、二人のこのシーンから行くぞ」



 佐藤の声で、空気がさらに引き締まる。

 蓮と美咲の、静かな感情のやり取りが中心になる場面だった。



「……いくよ、蓮」



 美咲が小さく声をかける。



「うん」



 返事は淡々としているのに、どこか硬い。



──本番さながらの緊張の中、稽古が始まった。



「どうして……私のこと、そんなふうに見るの?」



 美咲のセリフが、まっすぐ蓮に向けられる。



「それは……」



 ほんの一瞬、蓮の視線が揺れた。

 その視線が、無意識のうちに──あかりのほうへ向いてしまう。



「カット!」



 佐藤の鋭い声が飛んだ。



「桜井。今の視線、完全に私情が入ってる」



 稽古場が、しんと静まり返る。



「……すみません」



「芝居は嘘でやれ。本音でやるな。今は“役”として立て」



 その言葉は、あかりの胸にも突き刺さった。



(私情……本音……)



「もう一度、最初からだ」



 やり直しの合図で、再び稽古が始まる。

 けれど、さっきよりもぎこちなく、視線は噛み合わない。



 休憩の合図がかかると、蓮は誰よりも早く稽古場を出ていった。



 あかりは少し迷ってから、その背中を追う。







 小さな裏階段。

 窓から差し込む夕方の光が、蓮の横顔を照らしていた。



「……蓮」



 声をかけると、蓮は少し驚いたように振り向いた。



「あ、あかり……」



 短い沈黙。



「稽古……ごめん。私のせいで、集中できなくなってるよね」



 その言葉に、蓮は首を振った。



「違う。あかりのせいじゃない。俺が……勝手に、意識してるだけだ」



 あかりは思わず視線を伏せる。



「……私は、脚本家だから。役者と恋愛なんて、って……どこかで線を引いてた。でも」



 言葉が、途中で詰まる。



「でも……?」



 蓮の声が、少しだけ震えた。



「……分からなくなっちゃったの。どこまでが“リサーチ”で、どこからが“本音”なのか」



 正直な気持ちだった。



 蓮は、少し苦しそうに微笑んだ。



「それでもいい。今は分からなくても……俺は、自分の気持ちだけは嘘にしたくない」



「……蓮……」



 その瞬間──



「……へぇ。いいムードだね」



 軽い声とともに現れたのは、高峰翔だった。



「翔……」



「逃げるように出ていったと思ったら、ここで二人きり。噂になったら大変だよ? 脚本家と新人俳優の密会、なんてさ」



 からかうような口調の奥に、ほんのわずかな“棘”が混じる。



「翔くん……私、そんなつもりじゃ……」



「分かってる」



 翔は軽く手を振ったあと、蓮を見る。



「なあ、蓮。舞台の上ではライバルだけど……現実でも、同じってことでいい?」



 その言葉に、蓮は一瞬だけ目を見開き、そして静かにうなずいた。



「……はい」



 互いに譲れないものを抱えた、静かな宣言。



 そこへ──



「三人とも、何やってるの? そろそろ次の稽古よ」



 美咲が階段の下から顔を出した。



 その視線が、一瞬だけ、あかりと蓮の距離を鋭く捉える。



(……やっぱり、そうなんだ)



 胸の奥で、何かが小さく軋む音がした。



 恋も、芝居も、すれ違ったまま。

 本心を隠したまま、舞台だけが先へ進んでいく。



 あかりは胸に手を当て、そっと呟いた。



(この気持ち……どこへ向かえばいいの……?)