恋のリハーサルは本番です

神埼に呼ばれて入った小さな会議室は、昼間だというのに薄暗く、ひんやりとしていた。
 あかりは背筋を伸ばし、神埼の向かいに座る。

「水無月くん。最近の稽古の雰囲気、どう見えてる?」

 開口一番、そんな質問だった。

「あ……そうですね。少し、みんなピリピリしているように感じます」

「うん。だろうね」

 神埼は腕を組むと、机に視線を落とした。

「椎名美咲のキャラクター作りはいい。桜井も、高峰も、集中している。ただ……舞台は“空気”でできている。誰か一人の心が揺れると、全体に広がる」

 その言葉に、あかりの心臓が跳ねた。

(まさか……私のせい?)

 神埼は続ける。

「……水無月くん、自分のことを責めるなよ?」

「えっ……?」

 心を読まれたようで、あかりは思わず顔を上げた。

「君は脚本家としてよくやってる。だけど、役者たちとの距離感……その“揺れ”が、舞台全体に現れてきてるんだ」

 やっぱり……
 あかりの胸がぎゅっと縮む。

「……私、何か……迷惑を?」

「迷惑じゃない。ただ……舞台はみんなのものだ。君自身が不安定だと、作品も揺らぐ」

 神埼はゆっくり目を細めた。

「──桜井くんのこと、どうするつもりだ?」

 胸の奥を、鋭く刺されたようだった。

「わ、私……そんな……」

「誤魔化すな」

 静かな声なのに、逃げ場を塞ぐような強さがある。

「桜井くんは、君を見ている。あれは“役者が脚本家を見る目”じゃない」

「……!」

「そして高峰も、様子を気にしてるし、椎名も気づいてる」

 全部……分かっていたのか。

「あのままじゃ、舞台がまとまらない。恋は自由だが、作品が壊れるのは困る」

 あかりは唇を噛みしめる。

 恋の話ではなく、作品の話。
 それが一番刺さる。

「……どうすれば、いいと思いますか」

 小さく問うと、神埼は少しだけ目を丸くした。

「……君、自分からそう聞くタイプだったか?」

「今は……逃げてばかりじゃいけないと、思ったんです」

 神埼はゆっくり笑った。

「そっか。じゃあ答えるよ。水無月くん──君は、誰も傷つけずに済む道を探している。けどね、それは無理だ」

 あかりは目を見開く。

「誰かを選べば、誰かが傷つく。逆に言えば、誰も選ばなければ……全員が傷つく」

 神埼は立ち上がった。

「恋も舞台も同じだよ。覚悟しなきゃ、前に進まない」

 あかりの胸に、ずしりと重い言葉が落ちる。

(覚悟……)

 蓮のまっすぐな目が浮かぶ。
 美咲の震える笑顔が浮かぶ。
 翔の優しい声が浮かぶ。

 どれも大切で、どれも苦しい。

「……時間をあげるよ。答えはすぐじゃなくていい。ただ……逃げずに考えろ」

「はい……」

 会議室を出ると、一気に胸がざわついた。

 そんなとき──

「……あかり?」

 廊下の角で、蓮が立っていた。
 心配そうに、でも決心したように。

「あの……さっきの続き、話してもいい?」

 その声音に、あかりの心臓がまた跳ねた。

(逃げられない……)

 けれど、神埼の言葉が背中を押す。

「……うん。聞かせて」

 蓮は深く息を吸う。

「俺……あかりが、好きだ」

 胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。

 逃げられない。
 でも、逃げたくない。

 あかりは手を握りしめて、蓮をまっすぐ見返した。