恋のリハーサルは本番です

 蓮と翔の間に流れる、張りつめた空気。

 あかりはどうしていいかわからず、胸の前でファイルをぎゅっと抱えた。



「……帰ろう、水無月さん」



 蓮は優しく言いながらも、その声に迷いはない。

 あかりを守るように一歩前に立つ。



 翔は腕を組み、薄く笑った。



「まぁ……いいけどさ。送るだけなら、な」



 言葉は軽いのに、含まれる温度だけが低い。

 蓮は何も言わず、あかりに向き直った。



「行きましょう」



 あかりは小さくうなずく。

 翔に視線を向けると、翔は一瞬だけあかりと目を合わせ──

 そのまま視線をそらした。



 その“ほんの一瞬の揺らぎ”が、あかりの胸に刺さる。



 翔はあかりを気遣ってくれていた。

 なのに、その想いに気づきながら、何も返せていない自分がいた。









 劇団の建物を出ると、夜風が思った以上に冷たかった。



「寒くないですか?」



「だいじょうぶ。ありがとう、蓮くん」



 蓮は歩幅をあかりに合わせ、ゆっくり歩く。

 さっきまでの強い眼差しが嘘のように、横顔は落ち着いていた。



「……ごめんね。私のせいで、蓮くんまで巻き込んじゃって」



「巻き込まれたなんて思ってませんよ」



「でも──」



「水無月さんを守ろうと思っただけです」



 その言い方は、優しさよりも“覚悟”に近かった。

 あかりの胸が締め付けられる。



「……蓮くん、最近、変わったね」



「変わりたいと思ったから、です」



 蓮は夜空を見上げ、小さく笑う。



「僕……ずっと逃げてたんですよね。

 感情を出すと評価を落とすとか、俳優として未熟に見えるとか──そんなことばっかり気にして。

 でも、水無月さんを見てたら……そんなことどうでもよくなりました」



 不器用な言葉。

 でも、真剣な気持ちがまっすぐ届いてくる。



 あかりは返事をしたかったけれど──

 胸の奥には、あの時の翔の表情がこびりついている。



〈……へえ。言うようになったじゃん〉

 その奥に隠れた、苦い感情。



 気づかないふりをするほうが、よっぽど残酷だ。









 一方その頃、翔は一人で稽古場に残っていた。

 誰もいない舞台中央で、ポケットに手を突っ込み、息を吐く。



「……ああいう顔するんだな、蓮」



 やわらかい照明が、翔の横顔を淡く照らす。



「ま、アイツも男ってことか」



 言葉にした瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。

 その痛みを認めたくなくて、翔は小さく舌打ちする。



「あんなの……ただの“気まぐれ”だろ、水無月の」



 言葉とは裏腹に、視線は戸惑って揺れた。



 知らず知らずのうちに──

 翔自身が、あかりを見つめていた時間のほうが長かったのかもしれない。









 蓮と別れ、自宅マンションの前であかりは立ち止まった。



「今日はほんとにありがとう」



「いえ。……無理しないでくださいね」



「うん」



 蓮が帰っていく後ろ姿を見送る。

 細い背中が、以前よりずっと頼もしく見えた。



 静かな夜。

 あかりは胸に手を当てて、小さく息をつく。



──私は誰を見てるんだろう。



 蓮のまっすぐな想い。

 翔が見せた一瞬の影。



 どちらも嘘ではない。



 揺れているのは、あかり自身の心だった。