恋のリハーサルは本番です

稽古が終わり、役者たちは汗を拭きながら道具を片づけていた。

 水無月あかりは、使い慣れたノートパソコンを閉じたまま座ったまま。
 胸の中で、まださっきのシーンの余韻が渦を巻いていた。

(……桜井くん、あんな表情するんだ)

 蓮が見せた“ヒロインを失いたくない”という本気の熱。
 舞台用の演技だとわかっているのに──胸が少し痛い。

「水無月さん、さっきの指示ありがとうございます」

 声に振り返ると、蓮がタオルを肩にかけたまま立っていた。
 距離が近い。

「あ……いえ、脚本家として当然のことをしただけで……」

「でも、水無月さんが褒めてくれると……嬉しいです」

 さらりと、自然に。
 そんな言葉を言うタイプじゃないはずなのに。

 あかりはドキンと心臓が跳ねた。

「そ、そんなこと……言われても……」

 蓮の目は、芝居のときより柔らかい。
 その柔らかさが、あかりの心を揺らす。

(だめ。これは仕事なんだから……)

 そこへ、ぱたぱたと走ってくる足音。

「蓮! さっきの芝居……どう?手応えあった?」

 美咲が割り込むように蓮の隣に立つ。
 その顔は真剣で、どこか誇らしげ──まるで蓮の隣にいるのが自然だと言わんばかりに。

 蓮は少し驚いて、美咲に向き直った。

「……うん。美咲のおかげで、俺も本気が出せたと思う」

「ほんと!? よかった……!」

 その会話を聞きながら、あかりの胸の奥がきゅっと締まる。

(そっか。美咲さんも……蓮くんのことが)

 知っていたはずなのに、改めて突きつけられると苦しい。

 そこへ──さらに空気を読まない男が一人。

「へぇ、桜井。ヒロインとずいぶん息ぴったりじゃないか?」

 高峰翔。
 どこかニヤついた顔で、わざと聞こえるように言った。

「ライバルとしては焦るなぁ。お前、まさか実生活でも……?」

「翔! 変なこと言うなよ!」

 蓮が顔を赤くして否定する。
 美咲は一瞬、表情を固くした。

 そして──翔の視線が、ちらりとあかりに向いた。

(……また、この人)

 翔はあかりの反応を楽しむように、片眉を上げた。

「水無月さん、どう思う?
 舞台ってさ……本当に気持ちが入ると、役と本音が混ざるんだ。
 “誰のことを見てるのか”、観客より本人のほうが一番わかってない」

 意味深な言い方に、蓮も美咲も動きを止めた。

 あかりは胸の奥を見透かされた気がして、息が詰まりそうになる。

「……私は、脚本家です。
 そういうのは……関係ありません」

 それだけ絞り出すように言って、視線をそらした。

(だって。
 私は脚本家。
 役者に恋なんて──しちゃいけない)

 そう言い聞かせても、蓮の言葉、蓮の表情が頭から離れない。

 そのとき、佐藤が遠くから声を張った。

「おーい! 明日の稽古スケジュール、台本修正版が出るからなー!」

 その言葉に、蓮があかりを見た。

「……修正版。手伝います」

「え?」

「水無月さん、一人で抱え込むだろ。
 俺……力になりたい」

 真っ直ぐに向けられたその目。
 あかりの呼吸が止まる。

(だめなのに……どうしてそんな顔するの?)

「……考えておきます」

 それが限界だった。

 胸がいっぱいで、これ以上は言葉にならない。

 あかりはノートPCを抱えて、逃げるように稽古場を出た。

 残された蓮、美咲、翔の三人。
 それぞれの胸に、くすぶる想いがあった。

 静かに──物語はさらに複雑に絡まり始める。