恋のリハーサルは本番です

稽古場の扉を静かに開けると、そこにはすでに美咲が立っていた。



髪をひとつにまとめ、台本を胸に抱きしめている姿は、どこか昔の演劇部の頃を思い出させる。



「……美咲、もう来てたんだ」



蓮が声をかけると、美咲ははっと顔を上げ、少しだけ笑ってみせた。



「うん。今日は立ち稽古も多いって聞いたから、早めに来ようと思って」



「そっか。じゃあ、始める?」



「うん、お願いします。蓮」



その呼び方が懐かしくて、蓮はほんの一瞬だけ胸の奥がざわついた。



二人は間隔をあけて立ち、美咲がヒロイン役の台本を開く。



台詞を読み始めると、美咲の声にかつての演技の響きが戻ってくる。



“この町から逃げるの?

私は、あなたがいないと──”



蓮は相手の目を見るつもりが、ほんの一瞬だけ別の顔を思い浮かべてしまった。



(水無月さん……あかりは、今どこで何を考えてるんだろう)



そのわずかな迷いを、美咲は見逃さなかった。



「……蓮。集中して」



美咲の声が、思ったよりも強く蓮に届いた。



「あ、ごめん。気を付ける」



蓮は気を取り直して台本を握り直す。



再び芝居を始めると、美咲は一歩、また一歩と蓮に近づいた。



距離が近づく。



蓮の胸がわずかに詰まる。



「……蓮、目を逸らさないで。相手役の目を見て」



「……わかってる」



でも、本当は分かっていなかった。



美咲は蓮の目を真っ直ぐに捉えながら、胸の奥で小さく息を飲む。



(昔から……蓮は演技になると目が綺麗だった。

でも今の蓮の目は、私じゃない誰かを見てる……)



その“誰か”が誰なのか、美咲は痛いほど気づいていた。



「……蓮、ねぇ。正直に言って」



美咲は、芝居の流れを断ち切るように言った。



蓮は驚いた顔で彼女を見る。



「今日……あかりちゃんと何かあった?」



「っ……!」



思わず台本を持つ手が揺れた。



美咲は切なげに笑って続ける。



「やっぱり。だって……蓮って、わかりやすいもん」



「いや、そんなことは……」



「あるよ」



美咲はすっと蓮に距離を詰め、ほんの指先が触れるほどの場所で立ち止まった。



「蓮は今、あかりちゃんの動きを気にしてる。

誰と話してるか、どんな顔してるか……全部」



「……」



「蓮は、気づいてないだけなんだよ。自分の気持ちに」



蓮は返す言葉が見つからない。



胸の奥で、聞きたくない真実に触れられた気がした。



美咲はゆっくりと視線を落とし、寂しそうに笑う。



「昔の蓮なら、私のことだけ見てくれたのにね」



「美咲……ごめん」



素直に謝る蓮。

しかしその言葉が、美咲の心に余計な痛みを生む。



「謝ることじゃないよ。

でも……蓮があかりちゃんを見てる間、私はずっと蓮のこと見てるから」



そして、美咲は強がるように台本を閉じた。



「さ、続きやろ。演出家の佐藤さんに怒られたくないし」



蓮は台本を胸に抱えたまま、胸の奥が締め付けられる感覚を抱えていた。



“あかりのことが気になる”



“美咲を傷つけているかもしれない”



その狭間で、心は少しずつ揺れ始めていた。



(俺は……どうしたいんだろう)



蓮のその迷いは、まるで稽古場の空気までも曇らせるようだった。



──そしてそのころ、稽古場の外では。



あかりは蓮の姿を探しに、廊下を歩き始めていた。



胸の中に、翔から聞いた言葉と、自分でも気づいてしまった想いを抱えながら。