恋のリハーサルは本番です

稽古場を出たあかりは、胸の奥に残るざわつきを抱えたまま、自動販売機の前で立ち止まった。

(……ダメだ、なんか頭が回らない)

聞いてしまった蓮の言葉。
美咲の問いかけ。
そして、自分の名前が出たときの、あの心臓が跳ねる音。

「……はぁ」

ため息をひとつこぼした瞬間。

「──ため息なんて珍しいな、水無月さん」

不意に後ろから声をかけられ、あかりはビクッと肩を跳ねさせた。

振り向くと、壁にもたれながら腕を組んでいる男がいた。

高峰翔。

照明に照らされる横顔は完璧で、まるで雑誌の表紙みたいだった。

「あ、あの……翔さん。いつからそこに……」

「けっこう前から」

相変わらずの余裕綽々な微笑みを浮かべ、目を細めた。

「なんかあったんでしょ。顔に“こじらせ中です”って書いてある」

「えっ……!? か、書いてませんよっ!」

「書いてる。でっかく」

翔はおもしろがるように近づき、あかりの表情を覗き込んだ。

あかりは慌てて目をそらしながら、距離を取る。

「べ、別に……なんにも……」

「ふーん」

翔は自販機でコーヒーを買うと、プシュッと開け、一口飲んだ。

その視線は、あかりから離れない。

「じゃあ聞くけどさ。
蓮と美咲の話、聞いちゃったんだろ?」

「──っ!」

あかりは缶を落としそうになった。

「な、な、なんでそれを……!」

「表情とタイミング。あと、蓮の様子。全部見てればわかるだろ」

あまりにもあっさりと言うので、あかりは返す言葉がない。

翔は溜息をつき、少しだけ声のトーンを落とした。

「蓮は……鈍い。いや、鈍すぎる。
自分の気持ちにも、他人の気持ちにも疎い」

「……」

「でも、水無月さんのことになると、明らかに普通じゃない」

翔は、自販機の横に体を預けたまま続ける。

「立ち位置を変えれば、絶対に水無月さんのほうを見る。
セリフを読むとき、お前の反応を先に気にする。
休憩中も、お前がいれば落ち着かない。いなければ探す」

「さ、探して……?」

「そう。何回も」

あかりの胸がまた跳ねる。

翔は苦笑して、ひとつ缶を上に向けた。

「で──肝心のあんたも、蓮のことで情緒不安定。
……なぁ水無月さん。俺が言うのもなんだけどさ」

彼は少しだけ真剣な目で、あかりを見つめた。

「その恋、台本じゃないんだろ?
“役者と脚本家の線”なんて、言い訳にして逃げる恋じゃないよ」

あかりはハッと顔を上げる。

胸の奥が、痛むように温かくなる。

でも同時に、不安が押し寄せる。

「……でも……もし気持ちを伝えたら、仕事がやりにくくなるかもしれないし……。蓮に迷惑を──」

翔はその言葉を遮った。

「迷惑かどうかは、蓮が決めること。
それに……」

翔は意味深に微笑んだ。

「蓮はもう迷惑なんて思ってないよ。
むしろ……“気づきかけてる”。
自分の気持ちにも、あんたの気持ちにも」

あかりの喉が、きゅっと締まった。

翔は軽く肩をすくめる。

「ま、俺には関係ないけどね。
ただ──三角関係になるのは、避けられないと思うけど?」

そう言って、自販機の缶を放り投げるようにゴミ箱へ入れた。

「あとは……あんた次第だよ、水無月さん」

翔は片手を上げて歩き去っていく。

あかりはその背中を見送りながら、胸に手を当てる。

(翔さんは、なんでこんなに分かってるの……?
私より、蓮より、はるかに冷静……)

けれど同時に、翔の言葉は心の奥で燻っていた迷いを、ひとつずつ溶かしていく。

(……蓮は、私のこと……?
じゃあ……私が逃げちゃダメなのかな……)

静かな廊下に、あかりの小さな深呼吸だけが響いた。

胸はドキドキしているのに、不思議と少しだけ前に進みたくなっていた。