稽古場に、低いざわめきが流れていた。
舞台中央では、美咲が台本を抱え、必死に台詞を繰り返している。
ヒロイン代役に決まってからというもの、彼女の姿勢は誰よりも真剣だ。
しかし、今日の空気はどこか不思議だった。
美咲の視線が、稽古が始まってからずっと──蓮に向いている。
「……大丈夫か? 美咲」
蓮が声をかけると、美咲はわずかに肩を揺らし、すぐ微笑んだ。
「うん。だいじょうぶ。蓮と同じ舞台に立てるなんて、夢みたいで……ちょっと緊張してるだけ」
その言葉は、ほんのり甘く、そして切なかった。
稽古場の後方。
あかりは台本ファイルを抱えたまま、その様子を見つめていた。
(……美咲さん。どうして、あんなふうに蓮を見るんだろ)
胸の奥がチクリと痛む。
脚本家として観察しているだけ──そう言い聞かせても、その“痛み”は誤魔化せない。
「あかりさん、ここ修正入れますか?」
隣で台本の段取りを確認していた高峰翔が声をかけてきた。
柔らかく微笑む翔の目が、あかりの揺れた心を見透かしているようで、居心地が悪い。
「い、いえ……大丈夫です」
そう言ったものの、翔は視線を蓮と美咲の方へ向け、口元だけで笑った。
「……ねぇ、あかりさん。
脚本家のあなたが、あの三人を見て何も感じないって言うなら──」
少しだけ身体を近づけ、耳元で囁く。
「それは嘘だよね?」
「あ、あの、翔さん……近いです!」
翔が離れると、慰めるように微笑んだ。
「気づいてるよ。蓮くん、美咲ちゃん、そして……あなた。
三角関係ってやつ、舞台よりリアルで複雑だ」
あかりは顔を赤くして言葉を失った。
そのとき。
「休憩入りまーす!」
演出家・佐藤の声が響いた。
蓮は水を飲みに給水機へ向かったが、美咲もすぐ後を追った。
「蓮、さっきのシーン……もうちょっと合わせたいの。今いい?」
「え? あ、ああ。いいよ」
二人並んで台本を覗きこむ。
美咲の表情は、恋する少女そのものだった。
(……そんな顔、蓮に向けて)
あかりは胸を押さえて、視線をそらす。
そこへ翔が肩に手を置いた。
「ほら、見てられないならさ。
あかりさんも“本音”で動いたら?」
「……え?」
翔は笑ったまま、静かに続けた。
「舞台でも恋でも、リハーサルなんて存在しないよ。
本番でぶつかって、初めて分かることってあるから」
その言葉に、あかりの心が小さく揺れた。
(本音……私は、蓮のこと……)
考え始めた瞬間。
「……あかり?」
振り向くと、蓮が心配そうに立っていた。
美咲は少し離れた場所で、そっと二人の様子を見ている。
蓮が近づく。
その黒い瞳が真剣で、あかりの胸はさらに高鳴った。
「さっきから……顔、赤いけど。
大丈夫? 具合悪いの?」
「い、いえっ……!」
(それは、あなたのせいで……!)
けれど言えない。脚本家だから。距離を置くべきだから。
そんなあかりの沈黙を見て、蓮は悩むように視線を落とした。
「……俺、あかりが困ってるなら、何でも言ってほしいんだ」
(そんなこと言われたら……余計に、好きになっちゃうじゃない)
あかりはぎゅっと台本を抱きしめた。
遠くでは美咲が切ない眼差しで二人を見つめ、
翔は腕を組んだまま、ため息まじりに笑っている。
──稽古場の空気は、台本よりずっと複雑で、甘くて、痛かった。
そして、あかりは気づき始めていた。
蓮を好きになったらいけないと思いながら──
もう、とっくに心が動いてしまっていることに。
舞台中央では、美咲が台本を抱え、必死に台詞を繰り返している。
ヒロイン代役に決まってからというもの、彼女の姿勢は誰よりも真剣だ。
しかし、今日の空気はどこか不思議だった。
美咲の視線が、稽古が始まってからずっと──蓮に向いている。
「……大丈夫か? 美咲」
蓮が声をかけると、美咲はわずかに肩を揺らし、すぐ微笑んだ。
「うん。だいじょうぶ。蓮と同じ舞台に立てるなんて、夢みたいで……ちょっと緊張してるだけ」
その言葉は、ほんのり甘く、そして切なかった。
稽古場の後方。
あかりは台本ファイルを抱えたまま、その様子を見つめていた。
(……美咲さん。どうして、あんなふうに蓮を見るんだろ)
胸の奥がチクリと痛む。
脚本家として観察しているだけ──そう言い聞かせても、その“痛み”は誤魔化せない。
「あかりさん、ここ修正入れますか?」
隣で台本の段取りを確認していた高峰翔が声をかけてきた。
柔らかく微笑む翔の目が、あかりの揺れた心を見透かしているようで、居心地が悪い。
「い、いえ……大丈夫です」
そう言ったものの、翔は視線を蓮と美咲の方へ向け、口元だけで笑った。
「……ねぇ、あかりさん。
脚本家のあなたが、あの三人を見て何も感じないって言うなら──」
少しだけ身体を近づけ、耳元で囁く。
「それは嘘だよね?」
「あ、あの、翔さん……近いです!」
翔が離れると、慰めるように微笑んだ。
「気づいてるよ。蓮くん、美咲ちゃん、そして……あなた。
三角関係ってやつ、舞台よりリアルで複雑だ」
あかりは顔を赤くして言葉を失った。
そのとき。
「休憩入りまーす!」
演出家・佐藤の声が響いた。
蓮は水を飲みに給水機へ向かったが、美咲もすぐ後を追った。
「蓮、さっきのシーン……もうちょっと合わせたいの。今いい?」
「え? あ、ああ。いいよ」
二人並んで台本を覗きこむ。
美咲の表情は、恋する少女そのものだった。
(……そんな顔、蓮に向けて)
あかりは胸を押さえて、視線をそらす。
そこへ翔が肩に手を置いた。
「ほら、見てられないならさ。
あかりさんも“本音”で動いたら?」
「……え?」
翔は笑ったまま、静かに続けた。
「舞台でも恋でも、リハーサルなんて存在しないよ。
本番でぶつかって、初めて分かることってあるから」
その言葉に、あかりの心が小さく揺れた。
(本音……私は、蓮のこと……)
考え始めた瞬間。
「……あかり?」
振り向くと、蓮が心配そうに立っていた。
美咲は少し離れた場所で、そっと二人の様子を見ている。
蓮が近づく。
その黒い瞳が真剣で、あかりの胸はさらに高鳴った。
「さっきから……顔、赤いけど。
大丈夫? 具合悪いの?」
「い、いえっ……!」
(それは、あなたのせいで……!)
けれど言えない。脚本家だから。距離を置くべきだから。
そんなあかりの沈黙を見て、蓮は悩むように視線を落とした。
「……俺、あかりが困ってるなら、何でも言ってほしいんだ」
(そんなこと言われたら……余計に、好きになっちゃうじゃない)
あかりはぎゅっと台本を抱きしめた。
遠くでは美咲が切ない眼差しで二人を見つめ、
翔は腕を組んだまま、ため息まじりに笑っている。
──稽古場の空気は、台本よりずっと複雑で、甘くて、痛かった。
そして、あかりは気づき始めていた。
蓮を好きになったらいけないと思いながら──
もう、とっくに心が動いてしまっていることに。



