恋のリハーサルは本番です

稽古場の空気は、いつもより少し重かった。
 あかりが書いた新しいシーン──蓮がヒロインへ素直に想いを伝える場面──を初めて通しで演じる日だった。

 だが、その場の全員が知っている。
 このシーンには、蓮とあかり自身の“すれ違い”が影を落としていることを。




「……ねぇ蓮。昨日の、あれ、どういう意味なの?」

 控室の隅で、美咲が小さな声で蓮に問いかけた。
 蓮は台本を閉じ、けれど目を合わせない。

「どうって……別に。あかりは脚本家で、俺は役者。それだけの話だよ」

「“それだけ”の顔じゃなかったけど」

 美咲の声は静かだったが、胸の奥がざわつくような鋭さを帯びていた。

「蓮。あの子を大事にしてるの、私だってわかる。でも、なんで距離置いてるの?」

 蓮の喉がわずかに上下する。

「……線引きしてるだけだよ。仕事だから。俺が勝手に踏み込んで、あかりに迷惑かけたくない」

「迷惑じゃないと思うけど」

「美咲には関係ないだろ」

 その言葉に美咲のまつげがわずかに震えた。
 それでも無理に笑ってみせる。

「……うん、そうだね。でも、蓮。私は、あなたが自分の気持ちを誤魔化してるように見える」

 そう言って、美咲は稽古場を出ていった。

 蓮は胸の奥が苦しくなるのを押さえきれず、深く息を吐く。




「はいはい、準備してー!」

 佐藤演出家が手を叩くと、あかり、蓮、翔、美咲が所定の位置に立つ。

 神埼も後方で腕を組み、鋭い目で全体を見ている。

「じゃあ、例の告白シーン。蓮、翔、準備いいか?」

「……はい」

「ええ」

 あかりはモニターの前に座るが、胸の鼓動が落ち着かない。
 昨日のすれ違い。蓮の冷たい態度。
 全てを“仕事だから”の一言で片づけられた気がして、胸の奥がぎゅっと痛む。




蓮(演技):「……好きだ。君の全部が、俺を動かすんだ」

 蓮の声は震えていなかった。
 むしろ、あかりのために書いた時よりも深く、痛いほどの温度を帯びていた。

 あかりは息を飲む。

 ──どうして。
 どうして舞台の上では、そんな顔で、そんな声で、想いを届けられるのに。

 現実では一歩も近づいてくれないの?




 翔が台本を斜めに持ち、蓮の前に歩み出る。

翔(演技):「へぇ……そんな台詞、よく言えたな。お前、本当に彼女が見えてる?」

 蓮の肩がビクリと揺れる。
 演技のはずなのに、翔の目はどこか本気だった。

蓮(演技):「関係ないだろ……!」

翔(演技):「あるさ。舞台でも、現実でも、お前は逃げてる」

「…高峰さん、それアドリブ?」
 佐藤が眉をひそめる。

 翔は台本から目を離さずに答えた。

「すみません、つい。…でも、蓮の“本音”を引き出したくて」

 蓮は拳を握りしめた。

 本音──
 その言葉に、あかりの胸がまた痛む。




「ストップ!」

 佐藤が手を挙げた。

「桜井。お前、なんか引っかかってる?」

「……いえ」

「じゃあ聞くが、今の“好きだ”は誰に向けてた?」

 蓮は返答に詰まった。
 佐藤の視線、翔の視線、美咲の視線、そして──
 あかりの視線が蓮の胸に刺さる。

「あの……」
 あかりが思わず立ち上がる。
「佐藤さん、蓮くんが答えなくても、このシーン自体は──」

「水無月、黙って」

 佐藤の声は優しいが、逃げ道を与えない。

「このシーン、君が書いたんだ。作者として、わかってるだろ?」

 あかりの心臓が跳ねる。

「台本は嘘をつかない。嘘をつくのは人間のほうだ」

 蓮はその言葉に目を伏せた。




 そのとき、美咲が静かに口を開く。

「……蓮。あなた、昔からそうだった。
 誰かを大切に思うほど、距離をとる。
 相手を傷つけるのが怖くて、自分を閉じ込める」

 蓮の肩がわずかに落ちる。

「だから、私……ずっと気づいてたよ。蓮が今、一番見てるのは──」

 美咲の視線が、あかりのほうへ向いた。

 あかりは息を呑み、蓮は固まった。

 佐藤は小さく笑って台本を閉じた。

「……いいねぇ。舞台よりよっぽどドラマチックだ」

 神埼がため息をつきながら言う。

「この続きは、芝居じゃなくて……お前ら自身の問題だな」