恋のリハーサルは本番です

稽古場の空気は、先ほどよりも張り詰めていた。



 蓮は深呼吸しながら舞台中央に戻る。

 翔はそんな蓮を横目で観察し、眉をひそめた。



「……さっきから、どうしたんだ?」



 小声で問いかけられ、蓮は肩をすくめる。



「なんでもないですよ」



「なんでもなくない顔してるけど?」



「……ほんとに、なんでもないです」



 嘘だ。

 翔も分かっている。

 蓮自身も分かっている。



 だが──口にできない。



 あかりが誰かと話している。

 それだけで、胸がざわつき、落ち着かなくなる。

 集中しなければいけないのに、どうしても意識が逸れてしまう。



 そんな蓮の横を、美咲が通り過ぎる。



「蓮。次、私とのシーンだよ。……大丈夫?」



「あ、ああ……」



 蓮は言葉を濁す。

 気づかないふりをしていたが、美咲の瞳にはわずかな悲しさが混じっていた。



 そこへ──。



「よし、次のシーンいくぞ!」



 演出家・佐藤が声を張る。

 全員が舞台上に集まり、照明が当たる。



「水無月、修正した台詞は確認できた?」

 佐藤が声をかける。



「は、はい!」

 あかりは少し息を弾ませながら、手にしたタブレットを掲げた。



 美咲と話した直後のため、心臓はまだ落ち着いていない。



 蓮もまた、あかりを見た瞬間、目をそらすように視線を落とした。



 その反応に、翔は気づく。

 美咲も気づく。



 舞台上には、脚本に書かれていない"緊張"が漂った。



「……全員、集中しろよ」

 佐藤の苦い声が響く。



 場面は、主人公とヒロインが互いの誤解に傷つき、言葉を交わせないシーン。



「桜井、感情を抑えすぎだ。もっと素直にぶつけろ」



「す、素直に……?」



「そうだ。心の奥に隠してるものを、そのままぶつけろ。

 相手が大事だからこそ言えない言葉。

 本当は伝えたいのに、伝えられない気持ち。

 それだよ」



 佐藤は蓮をまっすぐ見つめる。



「……桜井。

 今のお前なら、できるだろ?」



 その言葉は、舞台用ではなく──蓮自身に向けられていた。



 蓮は息を呑む。



 “心の奥に隠してるものを、そのままぶつけろ”



 やれるはずがない。

 だってそこにあるのは、あかりへの気持ちだから。



 美咲はそんな蓮の横顔を見つめ、両手をぎゅっと握った。



(やっぱり……蓮の気持ちは、あかりちゃんに向いてるんだ)



 胸が痛む。

 でも、美咲は表情に出さないよう努めた。



 一方、舞台下からあかりが蓮を見ていた。



 蓮がどれだけ苦しそうか。

 あかりには分かる。



(私のせいで……蓮くんが苦しい思いしてる?

 そんなの……いやだよ)



 あかりの胸にも、小さな痛みが走った。



「……よし、桜井。試しに、ここから感情をぶつけてみろ」



 佐藤が促す。



「椎名、桜井と向き合え」



「はい……!」



 二人が舞台中央で向き合う。



 蓮は深く息を吸い──吐く。



 そして、美咲の瞳を見つめた。



 揺れる視線。



 震える唇。



 美咲は蓮の想いを感じてしまった。



(……やっぱり、私は“ヒロイン”じゃないんだね)



 胸がきりきりと痛む。

 でも、プロとして役を演じる覚悟を決める。



「じゃあ……始め!」



 佐藤の合図で、二人が同時に動く。



 蓮が叫ぶように言葉を放つ。



「どうして……!

 どうして、俺の気持ちなんて分かってくれないんだ……!」



 それは脚本の台詞。



 でも、どこか「本音」に聞こえた。



 舞台下のあかりは、息を呑んで動けなくなる。



 蓮の目には涙がにじんでいた。



「俺は──」



 言葉が震える。

 思わず佐藤が前のめりになった。



「俺は……!」



 蓮が目を伏せ、歯を食いしばった瞬間。



「……カット!」



 佐藤が強く手を叩いた。



「桜井。今のは……悪くない。

 悪くないけど……“誰”に向けてるのか、はっきりしすぎだ」



 蓮はハッと顔を上げる。



 舞台下のあかりは固まったまま。

 美咲の胸も静かに痛む。

 翔は腕を組んで、小さくため息をついた。



 佐藤は静かに言う。



「──その感情、舞台に、ちゃんと落とし込め」



 “本物の相手”に向けた気持ちを。



 “舞台の相手”に変換しろ。



 そう言っているのだ。



 蓮は強くうなずいた。



 けれど、その目の奥に残った迷いは、まだ晴れない。