恋のリハーサルは本番です

 稽古が再開すると、あかりは客席側の端でペンを持ちながらも、ほとんど字が書けなかった。

 ──さっきの蓮の言葉。
 「逆で……困ってる」

 それは、どう解釈しても……。

 胸が熱くなる。
 けれど同時に、苦しくなる。

 役者だから、脚本家だから。
 ふたりが曖昧に線を引く理由は、あかりにだって痛いほど分かっていた。

 舞台の世界は脆い。
 仕事と感情を混ぜるのは危険だと、誰もが言う。

 ──でも、止められない。

 蓮が舞台の上に立つ姿を見ているだけで、息が詰まりそうになる。

「……はぁ」
 あかりが深い息を吐いたところで、

「水無月さん」

 背後から声をかけられ、びくりと振り返る。

「翔……さん?」

 高峰翔が、少し困ったような笑顔を浮かべて立っていた。

「さっきの、二人の話……聞こえちゃってね」

「っ……!」
 顔が一気に熱くなる。

「安心して。ほかの人には言わないから」

 翔は優しく微笑む。
 でも、その目には少し影があった。

「水無月さん、蓮のこと……好きでしょ?」

 直球だった。
 心臓が跳ね、言葉が出てこない。

「え、あ、あの……!」

 しどろもどろになるあかりを見て、翔はくすりと笑った。

「図星か。……うん、知ってたよ。そういう顔、してた」

「ち、違……っ、ないとは言えないけど……!」

「言えないよね。脚本家だし、立場もあるし」

 翔の声は柔らかいけれど、どこか寂しげだ。

「……蓮は鈍いようで、すごくまっすぐだから。
 きっと、水無月さんの気持ちに気づいてないわけじゃないよ」

「……っ」

「ただ、怖いだけだと思う。
 役者として上手くいきたいのに、君のことを考えるとぐちゃぐちゃになるんだよ、あいつ」

 その言葉は、あかりの胸に温かく、でも切なく届いた。

「翔さん……どうして、そんなに……?」

「どうしてって──」

 一瞬言葉が止まり、翔はふっと視線を逸らす。

「僕だって……好きだからだよ」

「えっ……?」

「君のこと」

 あかりは息を呑んだ。

 翔は、蓮とは違う笑顔で、違う角度の優しさを持つ人だ。
 でも、だからこそ、その言葉は胸に痛いほど響く。

「でもね、僕は蓮みたいにまっすぐじゃない。
 仕事と恋を分けて考えるタイプなんだ。だから……もし君が蓮を選ぶなら、それでいいと思ってる」

 微笑む翔の横顔は、どこか大人びて、そして少しだけ傷ついていた。

「あかり」

 ふいに、翔が下の名前で呼んだ。

「蓮のことで悩んでるなら、僕に話してよ。
 誰かに抱え込まれるくらいなら、その相手は──俺でいい」

「翔、さん……」

 喉が熱くなり、言葉が出ない。
 どうしてこんなときに、こんな優しさを向けられるんだろう。

 そのとき──。

「……何してるんですか、翔さん」

 低く押し殺した声が響いた。

 振り返ると、そこには蓮が立っていた。
 汗で前髪が張りつき、息を荒くしている。
 稽古を抜けてきたのだろう。

「あ、蓮……!」

「台本の相談をしてただけだよ」
 翔はにこやかに返す。

 だが蓮の目は笑っていない。

「そうですか。……あかりを困らせないでください」

「へぇ。名前で呼ぶんだ」

 翔はわざとらしく目を丸くした。

 蓮はぎくりと肩を震わせ、視線を逸らす。

 ──二人の間の空気が、張りつめていく。

「あ、あの、二人とも……!」

 あかりが慌てて口を開く直前──

「桜井! 次のシーン入るぞ!」
 神埼の声が飛んだ。

 蓮は短く返事をして、あかりに目を合わせずにステージへ向かっていく。

 翔は小さくため息をついた。

「……あの調子じゃ、まだ言えないだろうね」

 あかりは胸を押さえる。
 痛いのか、苦しいのか、わからない。

 でも確かに、心は揺れていた。
 蓮の言葉で。
 翔の告白で。

 ──私は、どうすればいいんだろう。

 答えのない問いだけが、心に残り続けていた。