恋のリハーサルは本番です

稽古場の空気は、午後になってもまだどこか湿っていた。
 蓮と翔のピリついた空気は、共演者たちにも伝わっていたし、
 あかり自身も胸の奥にざらつく不安を抱えたままだった。

 ──どうして、あの二人があんな顔をするんだろう。

 蓮も翔も、あかりの前では「大丈夫」しか言わない。
 でも、蓮の視線はどこか曇っていて、翔の笑顔も少し無理をしているように見えた。

「水無月さん、次のシーン、少し台詞を手直しできる?」
 佐藤が呼びかける。

「はい、すぐに!」

 台本を抱えて立ち上がると、蓮と翔がちょうど同じ場所に向かおうとして鉢合わせた。

「……さっきの続き、話さないの?」
 翔が蓮に問う。語気は穏やかだが、目は本気だ。

「話す必要ないだろ」
 蓮は短く返す。その声音には、珍しく刺があった。

 あかりの心臓がひきつれる。
 二人がこんな空気になるのは、自分が原因なのだと分かってしまうから。

「蓮、翔さん……その、もし私のことで気まずいなら──」

 言いかけた瞬間、二人の視線が同時にあかりへ向いた。

「水無月さんのせいじゃない」
 蓮が強い声で遮る。

「そうそう。むしろ僕らが勝手に熱くなってるだけだよ」
 翔は笑ってみせるが、その目元は笑っていない。

 あかりは言葉を失った。

 ──どうして二人とも、私に気を遣うんだろう。
 ──わからない。何が正しいのかも。

「……とにかく」
 蓮が視線を逸らしながら言う。
「俺は台本読むから。翔さん、先行ってください」

「ふーん。じゃあ遠慮なく」

 翔が肩をすくめて歩き去るのを、蓮は黙って見送った。

 残された蓮の横顔は、あかりに背を向けるように硬い。

「蓮……大丈夫?」
 あかりが恐る恐る聞く。

「俺は平気。……それより、水無月さんこそ」

 蓮はゆっくりこちらを見る。
 その瞳に、一瞬だけ迷いとも痛みとも言える色が走った。

「さっきは……ごめん。声、荒かったよな」

「ううん、気にしてないよ。でも──蓮が苦しそうに見えて」

 蓮は目を伏せたまま、かすかに肩を震わせる。

「……苦しいよ。そりゃあ」

 その言葉が、あかりの胸を強く掴んだ。

「どうして……?」

 蓮は答えず、ただ台本の角をぎゅっと掴む。

「役者としては、ちゃんと仕事したいのに。
 でも、水無月さんを見ると……変に意識してしまって。集中できなくなる」

 小さな声だった。
 けれど、あかりの心に深く突き刺さる。

 ──それって。

「……私のこと、嫌になったって意味?」
 怖くて、震えそうな声で尋ねる。

「違う」
 蓮は即答した。
 その速さに、あかりは思わず息を呑む。

「むしろ逆で……困ってる」

「逆……?」

 蓮は唇を結んだまま、言葉を探している。
 でも、続きは言わない。言えない。

 けれど、あかりにはその”逆”が何を意味するのか、
 頭のどこかで悟ってしまっていた。

 そのとき──。

「二人とも、次のシーン準備して」
 神埼の声が響く。

 蓮はぱっと顔をそむけ、歩き出す。

「あ、蓮……!」

「続きはあとで。……逃げないよ」

 そう言い残して、蓮はステージの方へ向かった。

 置き去りにされたあかりの胸の中で、
 嬉しさと切なさと、言葉にならない期待が混じり合い、
 静かに渦を巻いていった。