恋のリハーサルは本番です

稽古場を飛び出したあかりは、廊下の片隅にしゃがみ込んだ。
胸はドキドキと脈打ち、頬が熱い。
舞台の明かりではなく、自分の感情で火照ってしまっている。

(……落ち着け、私。仕事中なのに、何逃げてるの……)

深呼吸をしても、先ほど美咲に言われた言葉が頭から離れなかった。

──“蓮は分かりやすいよ。誰を見るときに、一番優しい目をしてるかとか”

その「誰」が自分なのか、美咲なのか、それを考えるほど心が締めつけられる。

(私、舞台の脚本家なのに。
 俳優さん相手に、こんな感情持つなんて……プロ失格だよ……)

そんな自己嫌悪のループに陥っていると──

「……水無月さん?」

聞き慣れた、優しい声。
顔を上げると、蓮が心配そうに覗き込んでいた。

「大丈夫ですか?急に走って出ていったから……」

「え、あ……あのっ……!大丈夫です!ただの、えっと……!」

(ただの……何!?どうやって誤魔化すの!?)

焦ったあかりは、とっさに叫んでしまった。

「ただの ランニングです!!」

「…………ランニング?」

蓮は一瞬きょとんとし、次の瞬間ふっと笑った。

「舞台の裏でランニングする人、初めて見ました」

「あ、あはは……ですよね……!」

自分でも何を言っているのか分からず、顔から火が出そうだった。

蓮はしゃがんで、あかりの視線と同じ高さに合わせる。

「無理しないでください。具合悪いなら、稽古は中断しますから」

「そんな……!私のせいで止めちゃだめです。続けてください」

「でも、水無月さんが苦しそうだったら、僕……気になります」

蓮の声は、驚くほど柔らかくて。
その優しさが胸に刺さる。

(だめ……そんな顔、しないで……)

言葉にならない気持ちが喉に詰まり、あかりは視線を逸らす。

「平気です。ほんとです。
 ……ただ、ちょっと、考え事してただけで」

「考え事?」

蓮が少し身を乗り出す。

「もしかして……脚本のことですか?」

その言葉に、あかりは反射的に頷いた。

「は、はい!そうです!脚本です!脚本の、ことで!」

(助かった……!ギリギリセーフ……!)

しかし蓮は、あかりの嘘に気づいているような表情を見せる。

「……さっきのシーン、僕の演技がよくなかったですか?」

「えっ!?ち、違います!!蓮さんの演技は、すごく良かったです!」

「じゃあ……」

蓮は少し言いづらそうに、しかし優しく問いかけた。

「僕と美咲の距離が、気になりました?」

その一言で、あかりの心臓が止まりそうになった。

「ち、ちがっ……違います!気になってなんか……!」

蓮はあかりを真っすぐ見る。

「気になってるように……見えました」

あかりは言葉を失う。

蓮の目は優しいのに、少しだけ寂しさが混じっていた。

「だって、水無月さん……。
 美咲と僕のシーンの間、ずっと落ち着かない顔をしてました」

「……っ」

図星だった。
だからこそ何も言えない。

蓮は一瞬だけ目を伏せ、そして小さく息を吸った。

「もし……僕のせいなら、ごめんなさい」

「あ、あの……蓮さんは悪くないです!」

言葉がうまく出てこなくて、あかりは口をパクパクさせながら続ける。

「悪いのは……私です。
 私が勝手に気を散らして、勝手に落ち込んで、勝手に……」

蓮はじっと耳を傾ける。
その視線があまりに優しすぎて、あかりは言葉を飲み込んだ。

(これ以上言ったら……全部バレちゃう)

「……だから、ほんとに、気にしないでください」

あかりは立ち上がり、ぎこちなく笑う。

「戻りましょう。稽古、止まっちゃいますし」

蓮も立ち上がるが、まだあかりを見ていた。

「……また無理してる顔になってますよ」

「な、なってません!」

「なってます。
 ……でも、水無月さんが言いたくないなら、無理には聞きません」

蓮の声は優しくて、あかりの心に触れるようで──。

(だめ……泣いちゃいそう……)

「戻りましょう!」

あかりは勢いよく歩き出した。
蓮は少し笑いながら、その後ろをついていく。

(私たちの“恋愛リサーチ”、どこまでが台本で、どこまでが本音なんだろう)

すれ違ったまま、舞台だけが前に進んでいく。

──そして二人の距離は、まだほんの少しだけ近づかないままだった。