恋のリハーサルは本番です

稽古場の午後。
スポットライトの試運転が眩しく瞬き、舞台上では蓮と翔が台本を手に向き合っている。
あかりはその様子を、稽古場後方の折りたたみ机に座って見守っていた。
机の上にはノートPCと台本の束。
修正点を打ち込む指先が、いつもより少しだけ落ち着かない。

(……なんでだろう。蓮さんと美咲さんが並んで立っているだけで、胸がざわざわする)

美咲はヒロインの代役として、この数日で急激に成長していた。
翔と並んでも遜色ないほどの堂々とした演技。
演出家の佐藤も、休憩のたびに褒めている。

そんな舞台に、蓮も真剣な眼差しで向き合っていた。
その姿勢が好きなのに……今は、視線を向けるたびに胸が痛んだ。

「桜井、そこ!椎名の方をもっと強く見る!」
佐藤の声が響く。

蓮は美咲の瞳を真っすぐに捉えた。

美咲の声が、感情を帯びて震える。
「……どうして気づいてくれないの。ずっと、あなたのそばにいたのに」

恋人が別れを切り出す直前の、涙を含んだ台詞。
台本通りなのに──あかりには胸がチクリとした。

(……これ、私が書いたシーンなのに)

自分で書いた物語なのに、蓮が他の誰かに恋をしているように見える。
それだけで台詞が目に入らなくなるほど、心が揺れた。

すると、佐藤があかりの方を振り返る。

「水無月さん!ここの感情線、どう思う?この二人の距離感、もっと近づけてもいい?」

急に名前を呼ばれ、ノートPCの画面から顔を上げる。

「え、あ……はい!
 二人の距離は……胸の内を隠しきれないラインまで近づけていいと思います」

「よし!じゃあ桜井、椎名……一歩ずつ詰めて!」

蓮と美咲は言われた通りに距離を詰める。
息が触れ合いそうなくらいの距離。
舞台に必要な、恋人の距離。

でもあかりの胸の内は──舞台の照明より苦しくて眩しかった。

(ダメだよ。これは演技……ただの演技なんだから)

彼らを近づけたのは、あかり自身の言葉。
脚本家として正しい判断だ。
分かっている。分かっているのに……。

「──はい、シーン終了!」

佐藤が声を張ると、蓮は一歩離れ、美咲が息を吐いた。

その瞬間、蓮が客席の奥……あかりのいる方を見た。
目が合った。
あかりはとっさに視線をPCへ落とした。

(見るなよ……そんな顔で)

蓮の目は、まるで
“勘違いしてしまいそうなほど優しい”
ものだった。

「……水無月さん?」

横から声を掛けられる。
振り向くと、美咲が立っていた。
汗を拭いながらも、どこか探るような瞳。

「さっきのシーンなんだけど……あの距離、どうだった?」

「よかったよ。美咲さんの演技、すごく自然だった」

「そっか……。
 でも、蓮とああいう距離になるの、久しぶりで……ちょっと緊張した」

その言葉に、あかりの胸が小さく跳ねた。

──“久しぶり”?

蓮と美咲の間にある、高校時代の絆。
知らない時間。
知らない距離。

(私より……ずっと、彼のことを知ってるんだ)

そんな当たり前の事実が、今日に限ってやけに辛かった。

美咲は小さく笑って続ける。

「水無月さんって……蓮と仲いいよね?
 稽古のあと、よく二人で話してるし」

「えっ、そ……それは脚本の相談で!」

「そっか。でもね……」

美咲の声がふと柔らかくなった。

「蓮って、分かりやすいんだよ。
 誰を見るときに、一番優しい目をしてるかとか」

言われた瞬間、あかりは心臓をぎゅっと掴まれたような気がした。

(──それって……私?
 それとも、美咲さん?)

答えは曖昧で、聞くのが怖い。

その時、蓮が近づいてきた。

「水無月さん、さっきのシーンの修正なんだけど──」

あかりは慌てて立ち上がる。

「ご、ごめんなさい!
 先に佐藤さんに呼ばれてるので!」

そう言って、逃げるように走り出してしまった。

蓮と美咲が、驚いたように彼女の背中を見つめる。

(……ダメだ。
 この気持ちは……脚本家として失格だよ)

自分の作品に集中しなきゃいけないのに、
感情が勝手に揺れてしまう。

舞台の灯がまだ明るい中、
あかりの心だけが、誰にも気づかれずに暗がりへ沈んでいった──。