恋のリハーサルは本番です

舞台袖の空気が、一気に冷えていくように感じた。

蓮が戻ってきたあとも、あかりの胸の奥は落ち着かないままだった。
蓮の声、演技、震える指先──
どれも“演技じゃない”と気づいてしまったから。

(今日の蓮さん……本当に、感情が入ってた)

でも、それが“役者として”なのか、
それとも──

(……わたしのせい?)

考えれば考えるほど、苦しくなっていく。

そんなあかりの横に、ひょいと美咲が顔を出した。

「ねえ、あかりさん。ちょっと、良い?」

「わっ、美咲さん……!? び、びっくりしました……」

美咲はにこっと笑うが、どこか探るような目をしていた。

「あのさ……今日の蓮、なんか変じゃなかった?」

「え……変、ですか?」

「うん。心ここにあらずっていうか……台詞は完璧なのに、気持ちが追いついてないような」

(やっぱり……)

美咲は、蓮のことになると本当に敏感だ。

「最近さ、蓮と何かあった?」

「な、なんにもないですっ!」

あかりは慌てて手を振る。
すると美咲は、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。

「……そっか。何も、ないんだね」

その小さな声に、胸がちくりと痛んだ。

美咲は蓮の幼なじみ。
高校の演劇部時代からずっと彼を見てきた人。

だからこそ、余計に気づくのだろう。

蓮が誰を見ているのか。
誰の名前で心が揺れているのか。

そして、あかりが何も言えない理由も。

「……美咲さんは、蓮さんのこと……」

最後まで言えなかった。

美咲は一瞬目を伏せ、そして笑った。

「わたし? ……うん。わたしは蓮のこと、特別に思ってるよ」

やっぱり。
そう聞くと胸が締めつけられる。

でも次の言葉は、もっと切なかった。

「でもね──届かないって、ちゃんとわかってる」

一瞬、息が止まった。

「あかりさん」

「……はい」

「蓮……あかりさんのことを見る時だけ、目が違うよ」

その言葉に、あかりの頬がカーッと熱くなる。

(そんなはず……でも……)

「だから……あの子を、あまり泣かせないであげてね」

美咲はそう言うと、軽く肩を叩いて去っていった。



舞台では、蓮が次のシーンの立ち位置を確認していた。

少し離れた場所から、翔が冷ややかな視線を送る。

「なあ蓮。今日の、お前……ブレてんぞ」

「え……?」

「演技の話じゃない。お前自身が、だ」

翔はあかりを見る。
その視線の意味は、痛いほど分かった。

「お前、あの脚本家に何か隠してんだろ?」

蓮はギクッと肩を揺らす。

「隠して……なんか……」

声が震える。

翔はため息をついた。

「はっきりすればいいじゃん。
 本気なら本気で、ぶつかれよ。
 中途半端に距離を置くのが一番ダサいんだよ、役者としても」

「っ……!」

蓮は何も言えなくなった。

翔は続けた。

「舞台で嘘つくなよ。
 ──好きなら、好きでいいじゃん」

蓮の心臓が跳ねる。

(好き……だ)

でも、それを口にする勇気が、まだない。

だって、

“脚本家の彼女に迷惑をかけたくない”
“役者としての自分も守りたい”
“想いをぶつけて壊れるのが怖い”

全部、本音だから。

翔は肩をすくめて言った。

「ま、俺としては……」

ゆっくりと、あかりの方を見る。

「奪うのもアリだけどな」

蓮は反射的に翔を睨みつけた。

「……っ、それだけは、嫌です」

翔は満足げに笑う。

「だったら早く行けよ。
 嘘をつくのは脚本だけでいいんだよ」




あかりは、蓮にどう声をかければいいか迷っていた。

役者と脚本家。
線を引くべきなのに──
蓮を見ると胸が痛くなる。

(どうして、こんなに……)

その時。

「水無月さん」

振り向くと、蓮がそこにいた。

顔を赤くして、でも決意を宿した表情で。

「あの……少しだけ、お話しできますか」

あかりの心臓が跳ねた。

(だめ……期待しちゃ……)

でも、目がそらせない。

蓮は息を吸って言った。

「その……最近、距離……空いちゃって……
 嫌です。俺は、今まで通りがいいです」

あかりの胸に広がるのは、嬉しさと切なさが混じった感情。

でも──

(言えないよ……わたし、本気だなんて)

線を引いたのは、自分。

プロとして、恋をなかったことにしようとしたのは自分。

だから、優しい嘘をついた。

「……わたしも、今まで通りがいいです」

蓮はほっと笑った。

二人は笑い合った。

でもその笑顔はどちらも、
『相手のためについた“優しい嘘”』だった。