恋のリハーサルは本番です

舞台の袖は、午後の稽古の熱気がまだ残っていた。
照明の熱と、役者たちの吐息と、木材の匂いが混ざり合う。

水無月あかりは、ノートパソコンを膝に置きながら、
書いては消し、書いては消し──
キーの音が途切れ途切れだった。

(なんでだろう……前みたいに書けない)

主人公の台詞が、どうしても嘘っぽくなる。
心がどこかで止まってしまっている。

佐藤演出家が近づき、画面を覗き込んだ。

「水無月、今日の台詞……少し柔らかいな」

「す、すみません。直します」

「いや、責めてるわけじゃないよ。ただ……感情が揺れてるだろ?」

一瞬、心臓が止まる。

(見抜かれてる……?)

佐藤は観察の達人だ。
役者の表情、呼吸、間──そして脚本家の“心”まで読んでしまう。

「…桜井のせいか?」

「っ……ち、違います!」

とっさに否定したが、声が裏返った。

佐藤はゆるく笑った。

「気にするな。役者と脚本家は近くなるほど揺れる。
 でもな、水無月。
 自分の恋心で登場人物の恋を薄めるな。
 本音を書け」

(……本音、か)

その時──

「佐藤さん、次のシーン入ります!」

舞台監督の声に蓮が駆け出していった。

あかりと、目が合った。

ほんの一瞬。
でも胸が痛むほど、長く感じた。

蓮は、気まずそうに視線をそらしてしまう。

(あ……やっぱり、避けられてる)

胸の奥が、また少し沈んだ。

そんなあかりの横に、すっと影が伸びた。

「……また、あの二人、距離できてんな」

高峰翔が肩越しに覗き込み、あかりの画面を見て眉を上げる。

「なんだこれ。今日のヒロインの台詞、やけに切なくね?」

「ち、違います!翔さん!こ、これはただの……」

「蓮を意識してるだろ?」

ズバッ。

あかりは言葉を失う。

翔はニヤリと笑った。

「隠すなって。俺にはわかる。
 あいつ、お前が書く台詞、一文字ずつ噛むように演じてんだ。
 ……なのに、何でだろうな。
 心だけはすれ違ってる」

その言葉は、まるで鋭い矢のように胸に刺さった。

(わたし……どうしたいんだろう)

舞台から蓮の声が響く。

「……“好きだよ。どんなに離れても、俺の目は君だけを追う”」

稽古中の台詞だ。
あかりが書いた恋人役のセリフ。

でも、その声はなぜか震えていて、
一語一語、誰かに届いてほしいと願うようだった。

あかりの手が、知らず震えていた。

翔が呟く。

「──あれは、演技じゃねぇよ」

蓮が袖に戻ってきた。
汗を拭いながら、あかりを横目で見て、

「あ、あの……今日の台詞……どうでしたか」

声が少しだけ掠れている。

あかりは胸がぎゅっと締めつけられた。

(どうして、わたし……)

答えられない。

距離を置こうとしているのに。
本当は一番近くにいたいのに。

「……良かったよ。すごく、良かった」

それだけ言うのが、精一杯だった。

蓮は小さく目を伏せ、少しだけ微笑んだ。
でも、その笑顔はどこか寂しかった。

二人の間に、またひとつ
“見えない距離”が増えてしまった。