恋のリハーサルは本番です

翌日、稽古場にはいつもより早く蓮が到着した。
 昨夜はほとんど眠れなかった。
 あかりの言葉が、ずっと胸の奥で反響していたからだ。

『あの“好きだ”は、演技じゃなかった』

(……気づかれたんだ。やっぱり)

 稽古場はまだ静かだった。
 衣装ラックの横に腰を下ろし、蓮は脚本を開く。
 だが、文字が頭に入ってこない。
 ただ、あかりの横顔と、昨日の曇った瞳ばかりが思い出される。

 扉が開いた。

「あ……」

 入ってきたのは、水無月あかりだった。

 いつものように明るく微笑む……わけではなく、
 少しだけよそよそしい表情で軽く会釈すると、
 蓮の前をすっと通り過ぎ、奥の作業デスクへ向かった。

「おはようございます、あかりさん」

 蓮は勇気を出して声をかける。

「あ……おはようございます。昨日は、お疲れさまでした」

 言葉は丁寧なのに、
 距離ができてしまったように感じる。
 蓮は胸が痛んだ。

「昨日の……その……台詞のことなんですけど」

「大丈夫ですよ。役者さんは、感情移入して当然ですし」

 返事が早い。
 あかりはノートパソコンを開き、画面に目を落とした。

(避けられてる……?)

 蓮が近づこうとした時だった。

「……えっと、今日の改訂台本ここに置いておきます」

 机の端にファイルを置くだけ置いて、
 あかりは蓮を見ずに席を離れてしまった。

 蓮は動けなかった。

(……やっぱり、昨日のせいだ)

 胸がぎゅうっと縮む。




── そんな二人を、遠くから見ていた人物がいた。

 椎名美咲。
 蓮の幼なじみであり、ヒロイン代役を務める彼女は、
 あかりと蓮の微妙な空気にすぐ気づいた。

「ふふ……分かりやすいなぁ」

 美咲は小さく笑い、蓮の方へ歩いていく。

「ねぇ蓮、昨日の芝居、すっごく良かったよ!」

「ありがとう……」

 返事は元気がない。

「どうしたの?告白シーンで力使い果たした?」

「いや……ちょっと」

 曖昧に笑う蓮を、美咲は目を細めて見つめていた。

(やっぱり、あかりさんのことで悩んでるんだ……)



── 一方その頃、あかりは。

 パソコンを打つ手が震えていた。

(昨日のは……ダメ。あれは台本の台詞であって、蓮さんの本音じゃない。
 私が勝手に、意味を重ねただけ)

 そう言い聞かせても、胸が苦しい。

「……役者さんなんだから。
 恋愛のセリフを本気みたいに言うのは、仕事なんだから」

 でも、脳裏に残る蓮の声は、どうしても消えない。

『好きだ。君が笑うたびに、俺の世界が変わっていく』

「……ずるいよ、あんな言い方……」

 ぽつりとつぶやく。

(私が本気になっちゃったら……迷惑だよね)

 自分と蓮の立場。
 脚本家と俳優。
 同じ舞台を作る仲間であって、恋人ではない。

 線を引かなきゃいけない。
 そう思えば思うほど、心がちくりと痛んだ。



そして運命のシーン稽古──

「じゃあ、昨日の続きからいこうか」

 佐藤が声を張る。
 告白シーンの“翌朝”のシーンだ。

 蓮と美咲は位置につく。
 あかりは画面を見つめて、台詞の流れを確認しようとする。

 蓮が一歩、美咲に近づいた。

 台詞が始まる。

「昨日のこと……もし迷惑だったなら、ごめん」

 蓮の声は、また少し震えていた。

  ──その震えは、役のものなのか。
  それとも蓮本人のものなのか。

 あかりには判断できなかった。

 胸が苦しくなり、思わず目をそらす。

(ダメだ……これ以上、この芝居を近くで見てるの、つらい……)




稽古が終わった後──

 蓮はあかりを追いかけた。

「あかりさん、ちょっとだけ話せませんか?」

「あ……ごめんなさい。
 今日は急ぎの修正版を出さないといけなくて……」

 逃げるように早歩きで廊下を去っていく。
   蓮はその背中を追いかけられなかった。

(……どうすれば、また笑ってくれるんだろう)

 舞台は順調なのに、
 二人の関係は、見えない距離がどんどん開いていった。