恋のリハーサルは本番です

ゲネプロ(最終リハーサル)の空気は、本番とほとんど変わらない。
 照明、音響、衣装、立ち位置──すべてが実際の公演と同じ手順で進められる。

 桜井蓮は、深呼吸をひとつしてから舞台袖に立った。
 客席にはスタッフ数名と、演出家の佐藤、そして……脚本家の水無月あかりの姿がある。
 彼女はノートパソコンを膝に置き、真剣な眼差しで舞台を見つめていた。

(落ち着け。これは演技だ。リハーサルだ)

 そう言い聞かせても、心臓の鼓動は高鳴るばかり。
 なぜなら、これから演じるのは“恋人に告白する”シーンだった。
 そして、その恋人役を務めるのは──椎名美咲。

 照明が当たる。
 舞台上に、二人だけの世界ができあがる。
 風を模した音が流れ、夜の街角を思わせるセットが照らされた。

「……ねぇ、どうして黙ってるの?」
 美咲の声が響く。彼女の芝居は安定していて、感情の揺れが自然だ。
 さすが、代役として抜擢された実力者だった。

 蓮は台本どおりのタイミングで、一歩、彼女に近づく。
 視線がぶつかる。呼吸が合う。
 そして、あの台詞が、口をついて出た。

「好きだ。
 君が笑うたびに、俺の世界が少しずつ変わっていくんだ」

 ──その瞬間、
 舞台の上にいたのは“役”ではなかった。
 蓮自身の、心の底からの言葉だった。

 椎名美咲が一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべる。
 その微妙な間さえも、芝居の一部のように見えた。
 そして、彼女はゆっくりと笑う。
 蓮の胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。

 稽古が終わると、拍手が起こった。
 演出家の佐藤も満足そうにうなずいている。
 ただ、ひとりだけ拍手をしなかった人がいた。

 ──水無月あかり。

 彼女は静かに立ち上がり、ノートパソコンを閉じた。
 表情は穏やか。けれど、その目はどこか曇っていた。

「……すごく良かったよ、桜井くん。
 まるで、本当に恋をしてるみたいだった」

 その声は、少しだけ震えていた。
 蓮は笑おうとしたが、うまくいかない。

「……演技ですから。脚本家さんの、力ですよ」

「ううん。あの“好きだ”は、演技じゃなかった。
 私、書いた本人だから、分かるの」

 そう言い残して、あかりは稽古場を出ていった。
 残された蓮は、その背中を見つめながら、唇を噛みしめる。

(あの台詞……やっぱり届いちゃったんだ)

 夜風が吹き抜けるような静けさの中で、
 蓮の胸に浮かんだのは、ただひとつの想いだった。

> 「もう、リハーサルじゃない。
 本番が、始まってるんだ」