恋のリハーサルは本番です

舞台稽古の空気が、少しだけ重たくなっていた。

 照明が落ち、スポットが蓮と美咲を照らす。
 二人の視線が合う──はずだった。

「……ごめん、もう一回いい?」

 美咲がセリフの途中で目を逸らす。
 台本を持つ手が小刻みに震えていた。

「緊張してるのか?」
 蓮が笑いながら聞く。
 けれどその笑みは、どこかぎこちなかった。

 稽古場の隅では、あかりが静かに台本を閉じた。
 彼女の表情は無表情。けれど、そのペン先がわずかに止まっている。

(なんで、こんなに苦しいの……?)

 蓮と美咲の息の合った演技。
 脚本家としては嬉しいはずなのに、胸の奥がチクリと痛む。

 その時、演出家の声が響いた。
「桜井、いい表情になってきたな。恋してる男の顔だ」

 あかりの手がピクリと動いた。
 ノートパソコンの画面に打ち込んだ文字が、ぐにゃりと歪んで見える。
 彼女は慌てて目をそらした。

「……ちょっと、外の空気、吸ってきます」

 そう言い残して、稽古場を飛び出した。

 残された蓮は、思わず立ち上がる。
「水無月さん!」

 だが、演出家が制した。
「今は稽古中だ。集中しろ」

 その一言が、蓮の胸に重くのしかかる。
 視線の先の扉は、もう静まり返っていた。




 外は、春の風が冷たかった。
 あかりはベンチに腰を下ろし、画面を見つめる。

 書きかけの脚本が、途中で止まっている。
 ──『彼女は笑顔で嘘をついた』

 その一文を見つめたまま、あかりは小さく呟く。

「……私、脚本家なのに。なんで、こんなに演技が下手なんだろう」

 その声は、誰にも届かない。
 沈黙の中で、ひとしずくの涙がキーボードに落ちた。