恋のリハーサルは本番です

夜。

稽古場の裏手にある、人気のない廊下。

自動販売機の灯りだけが、白く床を照らしている。

高峰翔は、壁にもたれ、缶コーヒーを開けた。

……苦い。

(やっぱりな)

昼間から、どこか引っかかっていた。

蓮の空気。

昨日までと、決定的に違う。

「……聞いた」

低い声。

翔が顔を上げると、そこに桜井蓮が立っていた。

お互い、驚かない。

来ると、分かっていた。

「“待たない”って言ったんだって?」

翔は、淡々と聞く。

蓮は、否定しない。

「言った」

「そう」

翔は、一口飲む。

「で?」

沈黙。

廊下の奥で、誰かの足音がして、遠ざかる。

「それで、満足した?」

蓮は、少し考えてから答えた。

「満足は……してない」

「正直だな」

翔が、笑う。

「じゃあ」

視線が、鋭くなる。

「それは、覚悟か?」

「それとも」

一拍。

「焦りか?」

空気が、冷える。

蓮は、静かに返した。

「どっちでもいい」

「俺が、逃げなかった事実は変わらない」

翔の目が、細くなる。

「……逃げなかった、ね」

「でも」

一歩、近づく。

「選ばせる覚悟、ある?」

蓮は、答える。

「ある」

即答だった。

翔が、わずかに目を見開く。

(……言うようになったじゃないか)

「選ばれなくても?」

「それでも」

「なら」

翔は、缶をゴミ箱に放り投げる。

「俺も、遠慮しない」

蓮は、視線を外さない。

「最初から、してないだろ」

「違う」

翔は、はっきり言う。

「俺は、プロとして譲らないって言った」
「でも今は」
一拍。
「男としても、行く」


沈黙。

二人の間に、火花はない。

ただ、重い。

「……宣戦布告?」

蓮が、わずかに笑う。

「確認だ」

翔は、即答する。

「同じ舞台に立つ以上」

「どちらかが、引くわけにはいかない」

蓮は、頷いた。

「望むところだ」

二人は、同時に背を向ける。

歩き出す。

どちらも、振り返らない。

廊下の灯りが、二人の影を、別々の方向へ伸ばしていく。

同じ夜。

あかりは、アパートの部屋で、台本を前に固まっていた。

(……蓮さん、言ったんだ)

胸が、苦しい。

(翔さんも、知った)

誰も、間違っていない。

それが、一番、厄介だった。

窓の外。

同じ月が、静かに浮かんでいる。

静かな衝突は、もう起きた。

あとは──
舞台の上で、どう生きるか。

それだけだった。