恋のリハーサルは本番です

翌日、稽古場。

朝の光が差し込み、空気は一見、いつも通りだった。

……表面上は。

桜井蓮は、台本をめくりながら、ひとつも頭に入っていなかった。

水無月あかりは、ノートパソコンを開いたまま、画面を見つめて固まっている。

(……寝てない)

それだけは、すぐ分かった。

そこへ。

「おはようございまーす!!」

今日も元気いっぱいの声。

姫野亜理沙が、勢いよくドアを開けて入ってきた。

「うわ、今日ちょっと静かじゃないですか?」

「朝って、もっとバタバタしてません?」

誰も答えない。

「……?」

亜理沙は首を傾げつつ、ずんずん中へ。

「水無月さーん!」

あかりが、びくっと肩を跳ねる。

「は、はい」

「昨日、考えたんですけど」

亜理沙は悪気ゼロで言った。

「ヒロインって、どっちの人が好きなんですか?」

──即死級。

「……え?」

あかりの思考が停止する。

蓮のページをめくる音が、止まる。

「だって」

亜理沙は、まるで役の話をするように続ける。

「三角関係じゃないと、あの台詞のテンポおかしくないです?」

「気持ちが揺れてないと、あの“間”成立しないですよね」

(やめて)

(お願いだから)

あかりの心の悲鳴など届かず。

「私、昨日の通しで思ったんですよ」

亜理沙は指を立てる。

「桜井さんと話してるときの“安心”と」

「高峰さんと話してるときの“心拍数”」

「絶対、違います」

蓮が、思わず咳き込んだ。

「……っ」

「大丈夫ですか?」

「……だ、大丈夫」

全然大丈夫じゃない。

亜理沙は、にこにこ続ける。

「で、水無月さんはどっちタイプなんですか?」

「安心派?」

「それとも、心臓バクバク派?」

あかりは、完全にフリーズした。

視線が宙を彷徨う。

(選ばせないで)

(今は……今は……)

「亜理沙」

蓮が、低い声で止めに入る。

「それ、役の話じゃないだろ」

「え?」

亜理沙は、きょとん。

「え、違うんですか?」

「だって昨日、完全に」

「──“修羅場の空気”でしたよ?」

蓮が、言葉を失う。

(気づいてたのか……)

「でもまあ!」

亜理沙は、ぱっと明るくなる。

「現場に恋愛感情ある方が、芝居は絶対よくなります!」

「私、全然気にしませんよ!」

「むしろ、燃えます!」

「燃えなくていいから……」

あかりは、額を押さえた。

そこへ、演出家・佐藤の声。

「おーい、そろそろ読み合わせ始めるぞー」

救いの声。

……のはずだった。

「じゃあ水無月さん!」

亜理沙が、最後の一撃。

「今日の読み合わせ、
 “どっちを想定して”ヒロイン書いてきました?」

──とどめ。

あかりは、完全に崩れ落ちた。

「……ちょっと、時間ください」

そう言い残して、稽古場を出ていく。

残された空間。

蓮は、天井を仰いだ。

(……昨日より、状況悪化してないか)

亜理沙は首を傾げる。

「あれ? 私、また何かやりました?」

「……した」

蓮と、どこからか戻ってきた翔が、同時に言った。

「えー?」

亜理沙は笑う。

「でも」

少しだけ真顔になって。

「逃げ続けるより、よくないです?」

「台本も、気持ちも」

その一言が、蓮の胸に刺さる。

“逃げ続ける”。

昨日、誰かが背負った覚悟。

(……もう)

(放っとけない)

蓮は、静かに立ち上がった。

「……桜井さん?」

亜理沙が不思議そうに見る。

「水無月さん、追ってきます」

それだけ言って、稽古場を出る。

亜理沙は、その背中を見て、ぽつり。

「……あ、これ」

「動くやつだ」

全く無自覚なまま、核心だけ当てるヒロイン。

地雷原は、
今日も元気に踏み抜かれた。