恋のリハーサルは本番です

稽古が終わり、夕方の稽古場には人影がまばらだった。

台本の修正メモをまとめながら、水無月あかりは深く息をつく。

(……集中しなきゃ)

ここ数日、頭と心が噛み合わない。

書こうとすればするほど、余計な感情が割り込んでくる。

「まだ残ってたんですね」

その声に、あかりは肩を揺らした。

振り向くと、高峰翔が立っていた。

上着を肩にかけ、いつもの余裕ある笑み──だが、今日はどこか違う。

「翔……稽古、もう終わったはず」

「うん。でも、今日は帰らないって決めてた」

その言い方が、妙に真っ直ぐで。

あかりは、ノートパソコンを閉じる。

「……何か用?」

翔は一歩、距離を詰めた。

「用があるから残ったんじゃない」

「“今、話さないとダメだ”って思ったから残った」

空気が、ぴんと張る。

(……逃げ場がない)

そう直感した瞬間、翔は核心を突いた。

「水無月さん」

「あなた、桜井蓮を好きですよね」

──直球だった。

あかりの思考が、一瞬止まる。

「……なにを」

否定しようとした言葉は、喉で崩れた。

翔は、畳みかけない。

ただ、静かに続ける。

「否定しないんだ」

「それが、答えです」

あかりは、唇を噛みしめた。

「……脚本家として、不適切な感情よ」

「俳優に恋するなんて」

「だから、線を引いてる」

翔は、少しだけ目を細める。

「その“線”、誰のためですか?」

「彼のため?
 それとも──自分が傷つかないため?」

あかりの胸が、痛む。

「私は……」

言葉を探す間も与えず、翔は一歩前に出た。

「じゃあ、俺はどうです?」

真正面から、逃げずに。

「俺は、あなたを“脚本家”として尊敬してる」

「でもそれとは別に、
 一人の女性として、ちゃんと好きです」

一切の照れもない。

だからこそ、重い。

「俺は、待たない」

「曖昧な距離も、沈黙も、理解あるふりもしない」

翔は、はっきりと言った。

「選んでください」

あかりの心臓が、大きく鳴る。

「桜井蓮を、選ぶのか」

「それとも――俺か」

「……っ」

息が詰まる。

そんな選択肢を、突きつけられるとは思っていなかった。

「今すぐ答えを出せ、とは言わない」

翔は、ほんの少しだけ声を落とした。

「でも、逃げ続けるなら」

「俺は、あなたを“揺らしにいく”」

「遠慮もしないし、

 身を引くつもりもない」

その宣言は、脅しではなかった。

覚悟だった。

あかりは、震える手で机に触れる。

(……まずい)

脚本家としての理性が、悲鳴を上げる。

感情が露呈すれば、すべてが崩れる。

「翔……」

名前を呼んだ声が、かすれる。

その瞬間。

「……聞いてしまった」

低い声が、背後から落ちた。

振り向くと、稽古場の入口に──
桜井蓮が立っていた。

顔色は悪く、けれど目だけが、異様に冴えている。

(……最悪だ)

あかりの頭が真っ白になる。

翔は、一切驚かなかった。

むしろ、薄く笑う。

「聞かせたかったんだよ」

「待つ役の人に」

蓮の拳が、きつく握られる。

「……高峰」

「今、出てくるのが正解か?」

翔は、挑むように言う。

「それとも、また“待つ”?」

その一言が、深く刺さる。

あかりは、二人の間に立つ空気に、耐えきれず目を伏せた。

(選ばせに来た……)

翔は、本気だ。

逃げ場を塞いで、
自分の覚悟ごと、突きつけてきた。

そして蓮は──
初めて、“待つ”ことを誇れなくなっていた。

三角形は、もう均衡を保てない。

次に崩れるのは、
感情か、関係か。

それとも──
沈黙か。