恋のリハーサルは本番です

稽古場に、沈黙が落ちた。

「……ストップ」

水無月あかりの声は、はっきりしていた。

けれど、その声を出した本人が、いちばん驚いている。

「ごめんなさい。今の、違う」

演出家・佐藤が眉を上げる。

「違う? どう違う?」

あかりは台本を見下ろす。

文字が、意味をなさない。

(嘘だ……)

ヒロインが、相手役を見つめる場面。

ただそれだけのはずなのに。

視界の端に入ったのは、桜井蓮の横顔。 さっきから、視線を合わせてこない。

その隣で、姫野亜理沙が首をかしげる。

「え? 私は今の、キュンとしましたけど」

無邪気な一言が、胸に刺さる。

「姫野は、どうキュンとした?」 佐藤が聞く。

「んー……」

亜理沙は少し考えて、さらっと言った。

「ヒロイン、相手のこと好きなのに、“好きって顔しちゃいけない”って必死ですよね?」

──空気が、止まる。

翔が、面白そうに口角を上げる。 蓮は、ぴくりと肩を揺らした。

(……違う)

あかりの喉が、ひくりと鳴る。 それは「演出意図」ではない。 それは──

(私だ)

「水無月さん?」 佐藤が不思議そうに呼ぶ。

あかりは、息を整えようとして、失敗した。 視線が、蓮に向いてしまう。

蓮が、こちらを見ていた。

逃げない目。 でも、踏み込まない目。

(……なんで)

その距離が、今は苦しい。

「……一回、休憩入れましょう」 あかりは、少し早口で言った。

「私、直します。ここ」

神埼が静かに頷く。
「十五分な」

俳優たちが散っていく中、 亜理沙だけが、あかりのそばに残った。

「水無月さん」
「……なに?」

亜理沙は、悪気ゼロの笑顔で言う。

「これ、三角関係ですよね?」

──頭の中で、何かが崩れ落ちた。

「ち、違……」 言葉が、続かない。

「だって」 亜理沙は指を折る。
「蓮さんは“我慢してる側”、翔さんは“攻める側”。で、水無月さんは……」
一拍。

「自分が当事者って気づいたばっかりの人」

あかりは、何も言えなかった。

その会話を、少し離れた場所で聞いてしまった蓮は、 唇を噛みしめる。

(……遅い)

初めて、はっきりと思った。

(俺が、待ちすぎた)

胸の奥に、後悔が熱を持つ。 「越えない」と決めた一線が、 今も、足元に見えている。

そして、その線を── 翔は、もう迷いなく踏み越えようとしていた。