恋のリハーサルは本番です

翌朝。
 稽古場のドアを開けると、いつもより空気が冷たく感じた。
 昨日の“壊れたリハーサル”──あの瞬間を、あかりは何度も思い出してしまう。

 ステージの中央で、蓮と美咲が抱き合った。
 あれは脚本通りの演出。
 わかっている、頭では。
 でも、胸の奥がずっとざわついていた。

 「おはようございます」
 控えめな声で挨拶すると、蓮が小さく会釈した。
 けれど、目は合わせてくれなかった。
 ほんの数秒の沈黙が、永遠にも感じられる。

 「桜井くん、昨日のシーン、すごく良かったよ」
 演出家の佐藤が笑顔で言う。
 「ありがとうございます」
 蓮は深く頭を下げた。
 美咲も隣で微笑んでいる。
 まるで“主演とヒロイン”が板についたように。

 ──胸が痛い。

 あかりはノートパソコンを開くと、無理やり仕事に集中しようとした。
 「……台詞の修正、進めないと」
 キーを叩く音だけが、静まり返った稽古場に響いた。

 稽古が終わると、美咲が蓮に声をかけた。
 「あのさ、蓮。明日、時間ある? ちょっと通しで練習したくて」
 「あ、うん。大丈夫」
 「よかった。じゃあ、明日もよろしくね」
 美咲は笑顔で去っていく。
 その後ろ姿を見つめる蓮の表情に、あかりは視線をそらした。

 ──どうして、こんなに苦しいんだろう。

 その夜。
 あかりは自室で脚本のページを開いていた。
 ペンを持つ手が止まる。
 書かれている台詞は「好きです」──
 何度も直しても、しっくりこない。

 “本当の恋”を知らない自分が、恋を描こうとしている。
 でも、今は少しだけ分かる気がした。
 胸が痛くて、泣きたくて、それでも会いたいと思う気持ち。
 ──それが恋なのかもしれない。

 一方、蓮も眠れずにいた。
 天井を見上げ、昨日のあかりの顔を思い出す。
 彼女が見ていた。
 あのシーンを。
 自分が“演技”として美咲を抱きしめた瞬間を。
 「あれは、芝居なのに……」
 なのに、あのときの彼女の瞳には、確かに哀しみがあった。

 「どうして、俺は……」
 胸がざわつく。
 美咲との稽古を重ねるほど、心の中のあかりの存在が強くなる。
 それが、どうしようもなく怖かった。

 そして──翌朝。
 あかりが稽古場に入ると、蓮と美咲がステージで笑い合っていた。
 まるで息の合った恋人同士のように。
 その瞬間、彼女は思った。
 「私、この気持ちを隠さなきゃ」
 そうして、あかりは少しだけ笑顔を作った。
 でも、その笑顔は、どこか寂しげだった。