恋のリハーサルは本番です

夜のアパートは、静かすぎるほど静かだった。

玄関で靴を脱いだまま、あかりは動けずに立ち尽くしていた。 稽古場での光景が、何度も何度も脳裏に蘇る。

──「一人の女性として、好きです」

(……言った)

確かに、聞いた。 幻でも、聞き間違いでもない。

胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。 でも、その熱は喜びとは少し違っていた。

(どうして……今)

ノートパソコンを開く。 いつもの位置、いつもの角度。 指を置く──けれど、動かない。

(脚本家として、冷静でいなきゃ)

そう思うほど、心臓がうるさくなる。

蓮の声。 震えていた。 逃げ道を残さない、覚悟のある声だった。

(あの人……)

あかりは、そっと自分の胸に手を当てる。

(私は、どうだった?)

稽古場で。 亜理沙に問いかけられたとき。

逃げた。 答えられなかった。

“脚本家だから” “立場があるから” “混ぜちゃいけないから”

理由はいくらでも並べられる。

でも──

(本当は、怖かっただけ)

選ぶことが。 向き合うことが。

もし受け止めたら、 今まで守ってきた距離が、全部壊れてしまいそうで。

「……ずるいな」

誰に向けた言葉か、自分でもわからない。

台本の画面をスクロールする。 例の一文が目に入る。

『恋を自覚した瞬間、人は初めて無防備になる』

(……書いたのは、私なのに)

その意味を、 自分が一番わかっていなかった。

スマホが、微かに振動する。

──蓮、かもしれない。

そう思った自分に、あかりは驚く。

画面を見ないまま、深呼吸。 そして、ゆっくりと手に取る。

……違った。 通知は、何も来ていなかった。

(期待してた)

胸が、きゅっと縮む。

(私は……何を望んでるんだろう)

脚本家として? それとも、一人の女性として?

ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。 白い
天井は、何も答えてくれない。

でも。

(あの言葉を、なかったことにはできない)

蓮は、踏み込んできた。 逃げずに。

(……なら)

次は、自分の番なのかもしれない。

怖い。 でも。

胸の奥で、小さく、確かな声がした。

(私は……逃げたい?)

違う。

(追いついてないだけだ)

心が。 覚悟が。 自分自身が。

あかりは、そっと目を閉じた。

同じ夜のどこかで、 きっと蓮も、眠れていない。

その事実が── なぜか、少しだけ、救いだった。