恋のリハーサルは本番です

稽古が終わったあと。

舞台上はすでに片づけられ、照明も落とされている。 残っているのは、反省と、言葉にできない感情だけ。

桜井蓮は、舞台袖のベンチに座り込んでいた。

(……逃げ)

昼の稽古で、姫野亜理沙が放った一言が、まだ
耳に残っている。

優しさじゃなくて、逃げ。

それが誰に向けられた言葉なのか、 考えない

ふりをするのは、もう無理だった。

「顔、死んでる」

不意に、声。

顔を上げると、高峰翔が立っていた。 ペット

ボトルの水を片手に、余裕のある表情。

「……翔」

「なに。
 失恋? それとも自爆?」

「どっちでもない」

蓮は、そっぽを向く。

翔は隣に腰を下ろした。

「へえ。
 じゃあ、“まだ選んでない”ってやつ?」

蓮の肩が、わずかに強張る。

「……関係ない」

「関係あるだろ」

翔は即答した。

「俺たち、同じ舞台に立ってる。
 同じ脚本家を見てる」

蓮は、言葉を失う。

翔は、ちらりと蓮を見る。

「水無月あかり」

その名前を、わざと静かに言った。

「……」

「なあ、蓮」

翔は、少しだけ真剣な声になる。

「今日の稽古でさ。
 姫野が言ったこと、どう思った?」

蓮は答えない。

その沈黙を、翔は否定しなかった。

「俺はね」

翔は、ペットボトルのキャップを締めながら続ける。

「“ああ、やっぱり”って思った」

「……何が」

「お前が、逃げてること」

蓮が、きっと睨む。

「……言い過ぎだ」

「事実だろ」

翔は、あっさり返す。

「好きなんだろ?」

その一言が、胸に直撃する。

蓮は、何も言えない。

翔は、少し笑った。

「なあ。
 もしさ」

翔は、前を見たまま言う。

「俺が、あかりに惚れてたら」

蓮の喉が鳴る。

「俺なら、逃げない」

即答だった。

「脚本家? 立場?
 そんなの関係ない」

「好きになったら、ちゃんと伝える」

翔は、横目で蓮を見る。

「傷つく覚悟も、
 振られる覚悟も、全部込みでな」

「……それは」

蓮は、苦しそうに言葉を探す。

「無責任だ」

「違う」

翔は、即座に否定した。

「“選ばせる責任”だ」

蓮は、息を止める。

翔は続ける。

「何も言わずに距離取るのが、一番卑怯だ」

「相手は、理由も分からず不安になる」

「それを“優しさ”って言うなら」

一拍置いて。

「それ、自己満足だろ」

蓮は、俯いた。

反論できない。

「……俺は」

絞り出すように言う。

「彼女の仕事を、壊したくない」

「俳優が、脚本家を振り回すなんて」

「それこそ、最悪だろ」

翔は、ふっと笑った。

「お前さ」

「本当に、彼女のこと見てる?」

蓮が顔を上げる。

「水無月あかりが、
 そんなに弱く見える?」

その言葉が、蓮の胸を打つ。

(……弱くない)

むしろ、強い。

強すぎるくらい。

「彼女、書いてるだろ」

翔は続ける。

「自分の感情を、
 誰にも見せずに、全部台本に」

「それを“安全圏”から見てるの、誰だよ」

蓮は、目を閉じた。

(……俺だ)

翔は立ち上がる。

「ま、決めるのはお前だけど」

去り際、振り返る。

「ちなみに」

「俺、本気でいくなら」

少しだけ、挑発的に笑った。

「お前より、ずっとロマンチックに落とすけど?」

蓮は、苦笑する。

「……最悪だな、お前」

「知ってる」

翔は肩をすくめる。

「でもな」

最後に、低く言った。

「逃げてる男よりは、
 ずっとフェアだろ」

翔が去り、稽古場に静寂が戻る。

蓮は、深く息を吐いた。

(……逃げてる)

その言葉を、もう否定できない。

脳裏に浮かぶのは、あかりの横顔。

脚本家としてではない。

夜のアパートで、一人で悩んでいそうな、

“一人の女性”としての姿。

(……俺は)

(どこまで、踏み込む覚悟がある?)

答えは、まだ出ない。

でも。

“逃げない”という選択肢が、 はっきりと