恋のリハーサルは本番です

稽古場に、いつもより早い集合がかかった。

理由は、誰もがわかっている。

──主演発表。

舞台中央に置かれた長机。

演出家の佐藤と、劇団責任者の神埼が並んで立つ。

空気が張りつめている。

冗談を言う者もいなければ、台本をめくる音すらない。

桜井蓮は、壁にもたれて腕を組んでいた。

表情は落ち着いているが、視線は一点を見つめたまま。

高峰翔は、椅子に座り、背筋を伸ばして前を向いている。

昨日までの余裕はない。

けれど、逃げない眼だった。

水無月あかりは、少し離れた場所で台本を抱え、二人を見比べる。

(……お願い。誰も、傷つかないで)

そんな願いが叶うほど、現実は優しくない。

神埼が一歩前に出る。

「今回の舞台──
 主演は、一人です」

当たり前の言葉が、なぜか胸に刺さる。

「演技力、集客力、そして今後の劇団の流れを含め、
 総合的に判断しました」

一拍。

「主演は──」

息が止まる。

「──桜井蓮」

音が消えた。

誰かが小さく息を吸う。

誰かが、椅子をきしませる。

蓮は、すぐに反応しなかった。

数秒後、静かに頭を下げる。

「……ありがとうございます。
 全力で、舞台を背負います」

その声は落ち着いている。

けれど、覚悟の重さが滲んでいた。

拍手が起こる。

義務的で、ぎこちない拍手。

翔は、立ち上がらない。

視線も落とさない。

ただ──

(やっぱり、か)

拳が、膝の上でわずかに握られる。

演出家の佐藤が続ける。

「なお、高峰翔には重要な対になる役を任せる。
 主役を食うくらいの存在感を、期待している」

遠回しなフォロー。

でも、翔はわかっている。

「……はい」

短く、はっきり。

その返事に、あかりは胸を締めつけられる。

発表後、自然と視線が交錯する。

蓮と翔。

勝者と敗者。

そして、恋のライバル。

一瞬だけ、二人の目が合う。

挑発でもなく、憎しみでもない。

「次は、舞台の上で決着をつける」

そう言っているようだった。

あかりは、その間に立たされている自分を強く意識する。

(選ばれたのは、蓮。
 でも……心は、まだ追いついていない)

主演が決まった瞬間から、

舞台の空気は変わった。

稽古は、もう“平等”じゃない。

視線も、期待も、緊張も──すべてが一段階上がる。

そして、恋も同じだった。

誰かが一歩前に出れば、

誰かは取り残される。

でも、翔はまだ退いていない。

「……負けたままじゃ、終われない」

小さく呟いた言葉を、

あかりだけが聞いてしまった。